向島百花園江戸の面影・佐原鞠塢の茶店
スカイ姫のつぶやき19パソコン編

茶亭さはらは向島百花園の創立者、佐原鞠塢の7代目 の佐原洋子さんより、
8代目の滋元さん、そして9代目 のまどかさんが受け継がれています
緑いっぱいの百花園の景色を見ながらのしょうがの氷と百花園の梅の氷、癒されます!

住 所 / 東向島3-18-3(向島百花園)   電 話 / 03-3619-4997

   

                                           

七 福 神 関 係   七 草 関 係   御成り座敷    茶亭さはらの風景   お土産 関 係


向島百花園~墨東歳時記より
  現在から約200年前の文化・文政時代、仙台出身の佐原鞠塢によって開設されました。
開設当時、太田南畝をはじめとした文人墨客が数多く常連客として訪れ、作庭にも江戸庶民
の趣向をこらし、その庭の雰囲気は今も受け継がれています。その後も、11代将軍家斉公
などの賓客ともに、江戸庶民の行楽の場として「春夏秋冬花不断 東西南北客争来」の盛況
を得、明治へ時が移ってもご幼少時代の昭和天皇、伊藤博文や乃木将軍など多くの人々に
愛されてきました。
 明治にうつり、数多くの工場が周辺にできるなどの環境の変化、またたびかさなる隅田川
の洪水により疲弊してきましたが、大正時代初期に小倉常吉氏の支援により息を吹き返し、
昭和8年、国指定の「名勝・史跡」となりました。その後、小倉氏の遺志により百花園は
東京市に寄付をされ、昭和14年に東京市の公園として再開園されました。
 昭和20年3月の東京大空襲にで全園焼失しましたが、昭和24年に復興園地として
再開され現在に至っています。私達「茶亭 さはら」は佐原鞠塢から数えて8代目に当たり、
園内の売店にてお土産物やお抹茶・甘酒等を販売したり、集会施設のお食事手配と配膳を
承る、東京都の委託業者でございます。集会施設はクラス会・食事会・家族会等でお使い
いただけ、ゆったりと庭を楽しんで頂けると思います。詳しくはお問合せ下さい。
 



隅 田 川 向 嶋 絵 図






            
◆百花園茶や (明治末頃) 






隅 田 川 焼
有形文化財(工芸品) 佐原家所蔵(非公開)
東京都ホームページより 
    
            
絵付けを楽しむ榎本武揚ほか
七福神碑揮毫のメンバー
   

「隅田川焼」(角田川焼)は、新梅屋敷(現向島百花園)を開いた佐原菊塢(さはらきくう)が創始した
楽焼(らくやき)で、文政2 年(1819)に自邸内に(かま)を開いて以降、隅田川周辺の土を使用して
製作されました。作品は新梅屋敷で土産物(みやげもの)として売られ、特に都鳥の香合が人気があった
といわれています。陶法(とうほう)については諸説あり、酒井抱一(さかいほういつ)(1761~1829)
所伝の乾山伝書(けんざんでんしょ)(なら)ったとも、陶工吉向治兵衛(きっこうじへえ)
(1784~1861)から学んだものともいわれています。昭和13 年(1938)に閉窯するまで百花園主5 代
が作陶を続けました(窯は東京大空襲により失われました)。なお、「スミタ川」銘または「角田川」
銘が江戸時代、「百花園」銘が明治期以降の作品であろうと考えられています。
                                   (すみだ郷土資料館より)
  






「秋のなゝくさ」絵はがきは、明治末年、挿絵画家
として活躍した齋藤五百枝氏が、百花園の秋のなゝ
くさを題材に描いたものです。
齋藤五百枝(さいとういおえ) 
(明治17年~昭和41年)千葉県生まれ、東京美術学校
に進み、岡田三郎助に師事。20代で挿絵をはじめ
「少年倶楽部」を中心に活躍。
上は代表作「桃太郎」の挿絵 (新・講談の絵本
「桃太郎」より)
 
          
江戸の名物名店 向島花屋敷の梅干しの商牌(ラベル)

 





 東郷菊 和名発祥の地

      

元帥(げんすい)がいただいた(きく)
今(いま)から100年前(ねんまえ)の頃の明治時代(めいじじだい)日本(にほん)(くに)は、
(きた)にあるロシアの国と戦争(せんそう)をしました。ロシアからバルチック艦隊(かんたい)
という大変(たいへん)(つよ)海軍(かいぐん)()()せました。世界(せかい)(ひと)
が日本は()けると(おも)いましたが、その海軍を対馬(つしま)(おき)(やぶ)
り、日本は勝ちました。その(とき)、日本の海軍を指揮(しき)したのが東郷平八郎(とうごうへいはちろう)さんで、元帥(げんすい)(軍人(ぐんじん)の中で一番偉(いちばんえら))い(ひと)
なりました。東郷さんがイギリスのエドワード7(せい)戴冠式(たいかんしき)
(王様(おうさま)になる(しき))に出席(しゅっせき)した(とき)、ロンドンのキュー植物園(しょくぶつえん)
から(たね)をいただきました。日本に(かえ)った東郷さんは、よく(あそ)
びに()っていた百花園でその種を(そだ)てることにしました。この(はな)は「東郷菊(とうごうぎく)
」と()ばれ、8月(はちがつ)から10月(じゅうがつ)ごろまで、山吹色(やまぶきいろ)
の花びらと茶色(ちゃいろ)花芯(かしん)(花の()(なか))の花を()
かせます。日本の菊は、()まれた国は(はな)れていますが東郷菊(とうごうぎく)
の仲間です。

・百花園は東郷菊の和名発祥(わめいはっしょう)の地(ち)です。
                 注: この文では、植物の分類が同じ「属」のものを兄弟、「科」が同じものを
仲間と呼びます。

百花園探検カード NO003
制作 百花園サポート士隊  墨田区東向島3-18-3 向島百花園内
協力 向島百花園創設200周年行事実行委員会
  





来園されたロシア人の方からのプレゼント

或る日ロシア人の方が百花園に来られて
この絵を佐原さんに見せて下さったそうです。
絵を描かれた方のお孫さんに当たる方で、
佐原さん所有の、白黒の写真と一致して
驚かれ、歓びの中にこの絵を下さった
そうです。
  
             

 






 向 島 百 花 園   
      
葛 飾 北 斎   
      
 大 蔵 別 邸   





御 成 座 敷(おなりざしき)

            
◆百花園茶や (明治末頃) 



百花園には早い時期から、身分の高い武家や僧侶の休憩場所として、数寄屋造りの「御成座敷」の一棟
がありました。この御成座敷は松尾芭蕉のファンであった酒井抱一の設計と伝えられています。
創建当時の御成座敷は戦災によって焼失してしまいましたが、
1958年に現在の集会施設として再建
されました。お部屋は、将軍様がおいでになった「御成の間(10畳)」、「中の間(8畳)」、
芭蕉の像が飾られていた「芭蕉の間(
8畳)」の三部屋があります。現在では、「御成の間」と
「中の間」は襖でつながり、「芭蕉の間」は廊下で分かれていますが、襖をはずして二部屋、
もしくは、三部屋を併せて使用できます。
江戸の昔に思いを馳せながら、お食事を楽しんでみませんか。
                                  (東京都公園協会ホームページより)



         





            





         





         





         






百花園の木札の書家の方に記念に書いて頂きました。 
            
伝統工芸作家 大石さんの
江戸文字提灯 






隅 田 川 七 福 神 
江戸時代の文化年間に始められ、200年を超える歴史があるは、最古の七福神めぐりの一つと
言われているそうです。元日から7日までの「隅田川七福神めぐり」期間中、七福神を祀って
いる寺社では御開帳があり、特別の御朱印を受けることができます。
 また、お参りしたお印として、「隅田川七福神宝舟」に各寺社の福神の御分体を乗せて
玄関や神棚、仏壇などに飾ると「福がくる」と古くから言い伝えられているそうです。この
「宝舟」は、かつて隅田川を往来していた舟を模したものだそうです。



         





                   





        





        





           
                                          (茶亭さはら 隅田川七福神めぐりよりコピー)

お参りの方法
元旦から七草(七日)までをご開帳としております。江戸から伝わる参拝方法は、各寺社で神様のご分体をお請けし、
お集めになったご分体を宝舟にお乗せしておまつりします。宝舟は三囲神社か多聞寺でお請けください。

ご  朱  印
ご参拝のお印としてご開帳の間、ご朱印帳や色紙に各寺社のご神号・
ご朱印を揮毫していただくことができます。



     毘 沙 門 天
(多 聞 寺) 
   本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられる。
昔、村人達は、本堂の前に住む狸の悪戯に悩んでいた。
その村人を毘沙門天門下の禅尼師童子が狸を懲らしめ
救ったという伝説が伝わる。 
   
約1500m 
   
    寿   老  神
( 白 鬚 神 社)
 
  祭神の猿田彦命は道案内の守り神ということから、お客を案内
する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれる。隅田川七福神の中
でなかなか見つからなかった寿老人を、白い鬚の長寿の神様
として白鬚大明神にあてたことから「神」としている。 
   
約200m 
   
    福  禄  寿  尊
(向島百花園 )
  文化元年(1804)に開かれた百花園に集まる江戸の町民文化
を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが始まっ
た。福禄寿尊像は開祖佐原鞠塢が百花園の草花にちなみ、
本草の神として愛蔵し信仰していたもの。

   
約1000m 
   
    (弁  財  天)
  長 命 寺
 
  三代将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛を、寺内の井戸水で薬を
服用し快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も
長命寺とした。弁財天は河(水)の神ということから蛇が
お使いとして選ばれ、己の日に参拝する風習が生まれた。 
   
約50m 
   
    布  袋  尊
  (弘 福 寺) 
  黄檗宗で中国風の特色を持つ禅宗建物。布袋尊は七福神の中
で唯一実在した中国の禅僧で弥勒の化身といわれる。咳の爺婆
尊像は、風外和尚が修行中、両親を偲び刻んだもので、風外
の石像だから風邪にも強かろうと風邪除けの信仰を集めた。 
   
約300m  
   
    恵  比  寿  神
  大    国    神
  
    (三 囲 神 社)
 
  三井寺の僧源慶が弘法大師創建の由来を持つ荒れた祠を再建
したとき、出土した神像の周りを、白狐が現れ三回巡り、
消え去ったことから「みめぐり」の名が起こったとされる。
大國・恵比寿は越後屋(現三越)にまつられていたもの。





はるこま七福神めぐり
2019年1月3日(木)

第一部 隅田川七福神めぐり (10:00~13:00予定 )
多聞寺(10:00)⇒白鬚神社(10:30)⇒向島百花園(10:45)⇒じまん草餅(11:15)⇒
長命寺桜餅(11:30)⇒言問団子(11:45)⇒長命寺(12:15)⇒弘福寺(12:30)⇒三囲神社(12:45)

第二部   まちまわり (13:30 ~15:15予定 )  向島二丁目を中心として

  第三部   奉納演芸と福引 (15:15~16:00予定 )   会場・三囲神社境内
初春のお祝い芸と諸(玉すだれ、大黒舞など)本年も豪華賞品の当たる 「福引」 を行います



         





オシナリ君& 向嶋言問姐さん人力車で七福神詣り!
2019年1月3日(木)
スタートは10:00 多門寺→白髭神社→百花園(昼食)→長命寺→弘福寺→三囲神社です。


         





         





         






七 草 関 係

百花園の創設者佐原鞠塢が書かれた春の七草考

          





初春を迎える「春の七草籠」
「春の七草」の籠植は、百花園が発祥の地茶亭さはらでお分けしている七草籠は、百花園を愛する
皆さんが集う「なゝくさの会」が自主制作しているもので、竹籠は献上の籠を作る職人さんが
作ったものです。お歳暮や遠くの方には、宅急便で贈れます。


               





七 草 籠 の 準 備 中

         





七  草  粥
令和6年1月7日
春の七草→1・セリ、2・ナズナ、3・ゴギョウ、4・ハコベラ、5・ホトケノザ、
6・スズナ、7・スズシロ
七草の日の早朝、七草を粥に入れたて食べる古い習慣がある。それは春の七草が
古来より災いを去り長寿富貴を得る植物として食されてきたからだそうです。 

お正月の豪華な食べ物や飲酒で疲れ切った内臓をいたわる効果やビタミン不足を補う効果があるそうです。


            





         





             






茶 亭 さ は ら の 風 景
売店であって売店でない、商品であって商品でない
庭に溶け込んだ不思議な空間を感じます!


お 正 月 風 景 (令和5年)

         





                 





            





令 和 5 年 (2023年) 1月~3 月

              





            






茶店の煎茶に百花園横の
芋笑さんの御芋でランチしました!
 
         
明治通りから2分ぐらいの左側にあります。





令和5年 (2023年) 4月~5月

         







 
         
氷梅です! トップには梅ジャム、
ピンクはシソの色で、全て天然です。
 





         





令和4年(2022年)7月~8月

             





             





              





         





         





             





そ  の  他

             






茶亭さはらは庭門をくぐって左側にあります。  
          
奥に茶亭さはらが見えます   





         





大 輪 朝 顔 の 会・お月見の会 (令和元(2019)年9月 )

         





         





         






冬 に 咲 く 華 二 輪 (令和元年(2019年))

         





           




         






 茶亭さはらのお土産いろいろ

            

梅干し「寿星梅」器付き  ¥1,200

園祖 佐原きくうが梅樹三百数十本を植え、「梅は百花にさきがけて咲く」と酒井抱一が
名づけられたといわれる百花園。その中の老樹を徳川田安候が、隅田川七福神の福禄寿尊
にちなみ「寿星梅」と命名され、また、園内で採れる梅干しも「寿星梅」の商標でお土産
といたしておりました。昔の味を今に小梅をご賞味ください。
文 化 元 年 開 園   向 島 百 花 園
              茶 亭  さはら





            

都 鳥 土 鈴  ¥850

東窯では、乃木大将も自作の酒器を焼き、百花園のひとときを楽しんでいたと言われています。
東窯の素焼でもう一品お土産を作りました。都鳥の素焼きに絵を施した土鈴です。涼やかな
音色は懐かしさと共に、百花園の思い出を何時までも蘇らせてくれることと思います。







都鳥箸置き(隅田川焼きレプリカ)  2羽一組 ¥800

百花園には、戦前まで「東窯(あずまかまど)」という窯があり、隅田川の土でお土産として
都鳥の箸置きや香炉などの焼き物を作ったり、現在で言う楽焼きがおこなわれていました。
お土産の「都鳥箸置き」は、当時のものを型どり、つがいで寄り添う可愛い姿が評判となって
おります。ご両親へのお土産、結婚のお祝いや引き出物にもご好評をいただいております。





           

名菓百花園 麦こがし.抹茶.落花生 ¥300

戦災からの復興を記念してつくられた、麦・抹茶・南京豆の三色の落雁です。麦には、
お月見の会を表す「ススキと月」、挽き茶には、源氏香の中から「鈴虫」を借り
「虫の音を聴く会」を、南京豆には隅田川を象徴する「都鳥」がデザインされています。






秋の七草湯飲み¥1,000/梅花コースター¥320 
         
一筆箋  ¥300 
     

木版画 宝舟   ¥300 
 
スカイツリー懐紙  ¥340 


 なすがままに~寺島茄子入り餡~  ¥310 


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墨 田 区 内 循 環 バ ス 時 刻 表
(すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん)













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