スカイ姫のつぶやき19
遠  征  版



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小江戸川越 (埼玉県)


川越城本丸御殿   〇川越城中ノ門堀跡   〇太田道灌公像   川越氷川神社   〇道 灌 橋  

 真 行 寺   〇松村屋旅館    〇大沢家住宅    〇旧 山 﨑 家 別 邸    〇料 亭 山 家 
 
百 足 屋   〇喜 多 院   〇どろぼう橋の由来   〇中 院    〇永島家住宅 (武家屋敷)

時 の 鐘   〇川越熊野神社    〇川越菓舗道灌   〇か の ん   〇小江戸川越屋   〇養 寿 院


菓子屋横丁     銀 時     〇小江戸川越つぶやき街角    〇三芳野神社   川越陣力屋 (浪漫石焼)





       川越城 本丸御殿
日本で2つしか現存しない本丸御殿。
嘉永元年(1848)、時の藩主松平斉典が造営したもので、
江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構。
なんと100円で見学ができます。
埼玉県川越市郭町2丁目13−1
営 業 : 10:00~17:00    電 話 / 049-222-5399





         





         





         





               





         





         





         





         





         





         





              





         





         





         





         





               





         





         





         





               





               





         





          





                  





                  






      三 芳 野 神 社
童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれている。
川越城七不思議の碑があります。
川越城築城以前からあったが、太田道真・太田道灌父子による
川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになった。
住 所 : 川越市郭町2丁目25−7
電 話: 049-224-5940






         





         





              





         





            






      川越城中ノ門堀跡
川越城への適の侵入を防ぐために設けられた中の門堀は、
明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊され、旧城内
に残る唯一の堀跡となりました。構築当時の勾配を復元し、
城の雰囲気を思わせる土塀等が設置されています。
住 所 : 川越市郭町1丁目8−6
電 話: 049-224-6097
時 間 : 9:00~17:00  無 料






         





         





         





         






      太 田 道 灌 公 像

太田道灌は、川越城、江戸城を築城した室町時代の
武将で、道灌の像が建てられている場所はかつて川越城
の大手門があったところです。中学生の観光ボランティア
ガイドの説明がわかりやすくて癒されました。

                 住 所 : 川越市元町1丁目3番地1
電 話:049-224-8811





               





              





         





         





         






      川 越 氷 川 神 社
東参道にそびえる高さ15mの明神型の大鳥居は、木製として
は日本最大級の規模を誇る。鳥居中央の扁額に記された社号
は勝海舟の直筆によるもの。
住 所 : 川越市宮下町2丁目11−3
電 話: 049-224-0589   時 間 : 9:00~
開業: 西暦541年    創建: 欽明天皇2年






            





         





         





         





         





            





              





         





                 






      道  灌  橋
太田道灌に由来する橋名で、テラス状の張り出し
部分には道灌が川越の領主だった頃に詠まれた歌
の和歌が彫られている。
(七重八重花は咲けどもやまぶきの 
      実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき)

                 住 所 : 川越市志多町





         





            





              





         






        真 行 寺
至誠山成就院眞行寺は、武田信玄の妹(娘か?)眞行尼が
当地へ落ち延び、当所で一寺を建立、武田勝頼の子息が二世
となったといわれてます。

住 所 : 川越市元町1-2 電 話 : 049-222-2816





               





     





             






       松  村  屋  旅  館
創業百年、歴史ある宿
皆さんから、さりげないおもてなしの心を感じ快適な
一泊二日でした!
朝食美味しかったので次回もお願いしようと思いました。
埼玉県川越市元町1丁目1-11
 電 話 / 049-222-0107





         





         





         





               





         





        





            





         






      大 沢 家 住 宅
明治26年の川越大火の焼失を免れた川越最古の蔵造りで、
現存する関東地方最古の蔵造りでもある。寛政4年(1792)
に豪商、近江屋半右衛門が呉服太物を商うための店舗と
して建てた商家です。昭和46年6月22日に国指定重要文
化財に認定されました。
お土産品を購入出来ますが、一味違う所が好きです!
所在地 : 川越市元町1-15-2.





         





                 





                   





          





         





         





         





         





         






      旧 山 﨑 家 別 邸
老舗菓子店「龜屋」の五代目山崎嘉七氏の隠居所として、
数寄屋建築にも精通した建築家の保岡勝也氏の設計で
建てられました。


住 所 : 川越市松江町2丁目7番地8





                





         





         





         





         





         





         





               






     料 亭 山 屋 
(高級会席・懐石料理店)
明治初年創業の日本料理店で、約千坪の中庭を囲んで
7つの個室があり、昼はランチ弁当、夜は会席料理が
用意されています。
住 所 : 川越市幸町11-2   電 話: 049-224-0048
 営業時 間 : 11:30~ 21:00   駐車場 15台

定休日:毎週月曜日(祝祭日の場合を除く)不定期で、月に2~3日





         





          
左側の電子柱が木目地でカバーされています! 





         





         






     百 足 屋
川越市指定有形文化財である田口家住宅。
「百足屋(むかでや)」という屋号で寛永16年(1639年)
に創業され、糸や組紐の販売、鰹節問屋として人々に親
しまれてきました。

住 所 : 川越市松江町2-5-11
電話:049-292-0075  【営業時間】11:30~17:00





         





              





はつかりの間

         





やまぶきの間

         





         





         





          





離 れ

         





         





         





         





         





                 






      喜 多 院

天長七年(830)、慈覚大師円仁により創建された星野山
無量寿寺が始まりとされる

住 所 : 川越市小仙波町1-20-1
電話:049-222-0859(喜多院拝観寺務所)

お問い合わせ時間 9:00~16:00





         





         





         





         





         





         






どろぼう橋の由来

         





                 





                 





         






      中   院
天台宗の寺院で、山号は星野山。寺号は無量寿寺。院号が中院。

平安時代、淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師)が建立しました。
狭山茶発祥の地といわれ、円仁が創健の際、京より茶の実を
持ってきて境内で栽培したのが始まりだそうです
文豪 島崎藤村が義母(加藤みき)に贈った茶室(不染亭)があり、
市の文化財に指定されています。

                 住 所 : 川越市仙波町5-15-1





         





         





               





         





         





                 






      永島家住宅(武家屋敷)

川越城南大手門近くの侍町であった三久保町(旧南久保町)
に残る、江戸時代後期の川越藩御典医の武家屋敷で、
毎週土曜日9時~4時迄見学できます。川越まつりの10月15・
16日(土曜・日曜)の両日とも公開されます。
住 所 : 川越市三久保町5丁目3
 時 間 : 9:00~16:00  無 料





         





                





           





         






     時 の 鐘 (川越市指定文化財)
時の鐘は、川越城主酒井忠勝が寛永4年(1627)から寛永
11年(1634)の間に、現在の場所に建てたものが最初と
いわれています。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた
川越大火の翌年に再建されたそうです。
住 所 : 川越市幸町15−7
 電 話:049-224-6097 (川越市教育委員会)





              





               






           銀  時
フルーツをふんだんに使ったスイーツのお店

毎日メニューが変わります。
看板から美味しい!がほとばしり出ていました。
住 所 : 川越市仲町10-8  電 話:049-298-7732
営業時間:11:00~17:00   
定休日:お休みはインスタでお知らせとのこと





         






おけさ柿がなんと5玉で300円! 
           
 





         






      川 越 菓 舗   道  灌
大正10年川越城跡に店舗を構えた老舗の菓子店で、名前は
川越城を築城した太田道灌からきています。
店頭の大きな白ウサギは発泡スチロールでできています。
玄米を使用したお饅頭は日本唯一「道灌まんじゅう」
だけだそうです。
住 所 : 川越市郭町2-11-3  電 話:049-222-1576
営業時間:9:00~17:30   定休日:月





         





         






    川越陣力屋 (浪漫石焼)

   店 舗             人 力 車      
 営業時間 11:00~16:00    10:00~16:00 
定 休 日  毎週水曜日、
その他: 12月30日・31日 
  年中無休。但し年末年始を除く
その他不定休あり 
住 所 : 川越市連雀町11-5  電 話 : 049-225-1015





              





              





             





         






      か  の  ん (鐘つきたこせん)
鐘撞通りのかき氷屋さん
大きなえびせんべい2枚にたこ焼きがはさまった
鐘つきたこせんが人気です!
ゴミ箱がユニーク!

住 所 : 川越市幸町15-7  電 話 : 049-225-5952





         





         





              






        小 江 戸 川 越 屋
アンティーク、昭和レトロ商品の専門店
菓子屋横丁脇の門前通り(養寿院前)にあります


住 所 : 川越市幸町9-2 電 話 : 049-257-5262
時 間 :AM11:00~4:00   年中無休(雨天休業)





         





               





         





             





         





               






        養 寿 院 (曹洞宗・清龍山)
寛元二年(1244年)、 秩父平氏の末裔河越次郎経重公
(遠江守)が開基となり、大阿闍梨圓慶法印が開いた
古刹である。
文化財: 銅鐘(国の重要文化財工芸品)

住 所 : 川越市元町2丁目11−1 電 話 : 049-222-0846





         





         





              






        菓 子 屋 横 丁
色とりどりのガラスが散りばめられた石畳の道に、
約30軒程度の菓子屋などがあります。


住 所 : 川越市元町2丁目11
営業開始: 10:00~ 





         





         





               





              






        川 越 熊 野 神 社
1590年に紀州熊野から分祀されました

足踏み用の石畳が印象的でした。
住 所 : 川越市連雀町17-1 電 話 : 049-225-4975
営業開始: 9:00





         





         





               






小 江 戸 川 越 街 角


            





             





         





           





            





            





         





         





         






東京都・江東区



     京菓子 彦 九 郎  新 大 橋 店

美味しそう食べてみたいという思いが湧き出てきました!
お店の中の和菓子巡りをしようと思いました。
営業時間 日、火~土9:00~19:00
定休日 / 月曜日
住 所 / 江東区新大橋1-4-16  電 話 / 03-3634-3633





         





         





         





         





         






     春 日 井 商 店
地元で40年以上、スーパーに卸している問屋さんなので嬉しい
お値段です。品物に自信をもって実直な商いを心がけておられるのを
感じます。新潟県産のお米で作った柿の種には美味しくて安くて
しばらくの間ハマってしまいました。近くのバイタルリアクトセラ
ピーの整骨医院に来られる方々も帰りによく立ち寄られるようです。
住 所 / 江東区毛利1丁目6-12
電 話 / 03-3631-1042





         





 
美味しいと言って家族があっという間に170g入りを
空にしました
          
お味噌汁には勿体ないと言われ、そのままおやつなどに
食べましたが、美味しくてリピートしました。。





             





         





         






リピートのお客様の言葉を
聞き、私も購入しました。 
           
左側の昆布は、100%昆布が
重なって出来ています!
           
左側の焼きスルメ奥様が美味し
いと言われたので購入しました。






     
江 東 区 芭 蕉 記 念 館

常設展示→〇松尾芭蕉は何をした人?
〇芭蕉の生涯と生きた時代 〇芭蕉はどんな顔だったの? 
〇芭蕉と深川
 〇深川と作品 〇旅とネットワーク
 〇『おくのほそ道』の旅立ちの地・深川 〇深川芭蕉庵
〇江東区内の句碑・史跡など
 〇深川での俳諧活動
開業: 1981年4月19日  営業時間:9:30~ 17:00
江東区常盤1丁目6−3  電 話: 03-3631-1448

芭蕉歴史跡展望庭園分館→常盤1-1-3 






         





         





         





         












       
芭 蕉 庵 史 跡 展 望 庭 園


営業時間:9:15~ 14:30
入園料無料
江東区常盤1丁目1−3






         





         





            





         





         





         






      
渋 沢 栄 一 旧 居 跡
明治9年(1876)に屋敷を購入して修繕した後本邸とした
所で、明治21年(1888)に本邸を中央区兜町に移した
のちは別邸として利用しました。

江東区永代2-37
 





         





     


渋沢(しぶさわ)栄一宅(えいいちたく)(あと)
                         永代2-37
渋沢栄一は、明治から大正にかけての実業界の指導者です。天保
(てんぽう)一一年( 一八四〇 ) 武蔵(むさしの)(くに)榛沢(はんざわ)郡血洗(ぐんちあらい)島村(じまむら)( 深谷市 ) に生まれました。二五歳で一橋家に仕え、のち幕臣となり渡欧しました。帰国後、明治政府のもとで大蔵省に出仕しましたが、明治六年 ( 一八七三 ) に実業界に転じ、以後、金融・産業・運輸などの分野で近代産業の確立に力をそそぎました。晩年は社会公共事業に貢献し、昭和六年 ( 一九三一 ) 九二歳で没しました。栄一は、明治九年 ( 一八七六 ) に深川福住町 (永代二) の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。同二一年 ( 一八八八 ) には、兜町(かぶとちょう) ( 中央区 ) に本邸を移したため、深川邸は別館として利用されました。栄一と本区との関係は深く、明治二二年 ( 一八八九 ) から同三七年 ( 一九〇四 ) まで深川区会議員および区会議長を勤め、深川区の発展のために尽力しました。また、早くから倉庫業の重要性に着目し、明治三十年 ( 一八九七 )、当地に渋沢倉庫部を創業しました。大正五年 ( 一九一六 )、実業界を引退するまでに五百余の会社設立関与したといわれていますが、本区に関係するものでは、浅野セメント株式会社・東京人造肥料会社・汽車製造会社・旭焼陶器組合などがあげられます。
 平成二一年三月          江東区教育委員会





          





        

澁澤倉庫発祥の地
 「わが国の商工業を正しく育成するためには、銀行・運送・保険などと共に倉庫業の完全な発達が不可欠だ」
日本資本主義の生みの親である、澁澤榮一は、右の信念のもと、明治三十年三月、私邸に澁澤倉庫部を
創業した。この地は、澁澤倉庫発祥の地である。澁澤榮一の生家は、現在の埼玉県深谷市にあり、農業・
養蚕の他に藍玉(染料)の製造、販売も家業としていた。この藍玉の商いをするときに使用した記章が?
(ちぎり・りうこ)であった。明治四十二年七月、澁澤倉庫部は澁澤倉庫株式会社として組織を改めたが、
この?の記章は、現在も「澁澤倉庫株式会社」の社章として受け継がれている。澁澤シチィプレイス永代
建築を記念し本碑を建立する。
        平成十六年四月吉日
          澁澤倉庫株式会社






          
佐 久 間 象 山 砲 術 塾 跡
幕末の兵学者・思想家として著名な佐久間象山が
西洋砲術塾を開いた信濃国
(しなののくに) (長野県)
松代藩下屋敷
(まつしろはんしもやしき)があった場所です。
江東区永代1-15-2





         





       

江東区登録史跡
 
佐久間象山砲術塾跡(さくましょうざんほうじゅつじゅくあと)        永代1~14付近
                                
この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国
(しなののくに) (長野県) 松代藩下屋敷(まつしろはんしもやしき)
があった場所です。象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家として著名です。文化
(ぶんか)八年 (一八一一)
松代城下で生まれ、名は啓
(ひらき)、通称は修理(しゅり)、雅号は「ぞうざん」と称したともいわれています。
天保
(てんぽう)四年 (一八三三) 江戸へ出て佐藤一斎(さとういっさい)に朱子学(しゅしがく)を学び、同十三年 (一八
四二) 、藩主真田幸貫
(さなだゆきつら)より海外事情の調査を命じられました。おりしも、イギリス・清(しん)国間
で勃発したアヘン戦争 (一八四〇~四二) に衝撃を受け、おもに海防問題に取組み、九月には江川太郎左衛門

(えがわたろうざえもん)
(英龍(ひでたつ)・坦庵(たんあん)) に入門して西洋砲術を学びました。嘉永(かえい)三年 (一
八五〇) 七月、深川(ふかがわ)小松町
(こまつちょう) (永代一) の下屋敷で諸藩の藩士らに西洋砲術を教え、この
ころ、勝海舟
(かつかいしゅう)も入門しました。同年十二月、いったん松代へ帰藩しますが、翌年再び江戸へ出
て、木挽町
(こびきちょう)(中央区) に砲術塾を開きました。門下には、吉田松陰(よしだしょういん)・坂本龍馬
(さかもとりょうま)・加藤弘之(かとうひろゆき)など多彩な人物がいました。安政(あんせい)元年 (一八五四) 、
ペリー来航に際し、吉田松陰が起こした密航未遂事件に連座して松代に幽閉されました。元治
(げんじ)元年
(一八六四) に赦
(ゆる)され、幕府に招かれて京都に上りましたが、七月十一日、尊王(そんのう)攘夷派
(じょういは)
浪士に暗殺され、五四歳の生涯をとじました。
     平成二一年三月         江東区教育委員会
 






      清 洲 橋(きよすはし)
深川の清澄町と日本橋中洲町の間に架けられたことから
清洲の名が付けられた清洲橋は、昭和三年(一九二八年)
三月に完成されました。ドイツのケルン大吊橋をモデル
として関東大震災の帝都復興事業として計画され、平成
十九年(二〇〇七年)には昭和初期を 代表する橋として
永代橋、勝鬨橋とともに国の重要文化財に指定されました





          






     
小 松 橋・扇 橋 閘 門(こうもん)
パナマ運河のミニ体験ができます!
河 川 名→小 名 木 川
所 在 地→猿江二丁目~扇橋一丁目間小名木川
 





         





         







扇 橋 閘 門(こうもん)
江東区は、東側が地盤が低く西側が高い地形になっています。そこで昭和46年策定の江東内部河川整備計画では、
東側を常に水位を一定に保つ水位低下区域としてまた西側の感潮部を耐震区域として整備をすることになり
ました。この閘門は、両区域の接点に当たる小名木川の中間に位置し、水位差を調整して船舶の航行を可能
にするための施設です。30億円の事業費と5年3カ月の歳月を費やして昭和52年に築造されたものです。
この方式はパナマ運河と同じです。
 






      

江東区中川船番所資料館
(公益財団法人 江東区文化コミュニティー財団)
住 所 / 江東区大島9-1-15
電 話 / 03-3636-9091
 





         





         





         





         





         





         





         





         





         






      亀 戸 銭 座 跡
「銭座絵巻」(享保13年(1728年))より銭座で行われ
ていた銅貨製造工程のうち、平研(銅貨の表面を磨く)
作業をしている図(日本銀行貨幣博物館所蔵)の絵を
参考にして描かれたレリーフです。
寛永13年(1636年)に銅銭が本格的に鋳造されました。
そのため、幕末までに造られた銅銭は全て寛永通宝と
称し、「寛永通宝」の文字が打ち出されています。
江東区亀戸2-6





         





         









東都名所 亀戸梅屋舗ノ図 /歌川広重 初代 
          亀  戸  梅  屋  敷
江東区亀戸3丁目
本所・埋堀に住んでいた呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘
で広さ3600坪の庭園に300株にものぼる梅の木があった
そうです
押上から浅草通りを明治通りに向かって
いくと、福神橋の手前の歩道に設置されています。
 





         







江東区登録史跡
梅 屋 敷 跡   亀戸三―四0、五0~五三付近
梅屋敷は、江戸時代から続く梅の名所でした。もとは本所埋堀(墨田区)の商人、伊勢屋弥彦右衛門の別荘で
清香庵と称していましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりま
した。なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見
えるところから、水戸光圀が命名したと伝えられています。また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地
を訪れました。江戸近郊の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々でにぎわい、その様子は『江戸名所
図会』『絵本江戸土産』(歌川広重)などの地誌にもとりあげられています。歌川広重はこの梅屋敷だけで十
数種の版画を描き、とくに「名所江戸百景」の中の、太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は傑作のひとつ
にあげられます。明治四三年(一九一0)、大雨により隅田川沿岸はほとんど水に浸り、亀戸・大島・砂村の
ほぼ全域が浸水しました。この洪水により、梅屋敷のすべての梅樹が枯れ、廃園となりました。ここに残る
石標柱は、江東区創立十周年を記念して、昭和三三年に建てられたものです。
    平成二一年三月    江東区教育委員会
 






 東都名所  亀戸梅屋舗全図  歌川 広重 初代
 
東都名所 梅屋舖満花之図
歌川 広重 初代






名所江戸百景 亀戸梅屋舗
歌川広重 初代
 
               
江戸むらさき名所源氏
亀戸梅屋舖 見立梅かえ
歌川広重 初代 





 
江戸自慢三十六興 梅やしき漬梅
歌川広重 2代 
歌川国貞 初代
             
東都三十六景 亀戸梅やしき
歌川広重 2代
 






        亀  戸  天  神  社
寛文3年(1663)に神殿・反橋、心字池など
九州太宰府天満宮に模してつくられたそうです。
新東京百景に選ばれています。
梅まつり/2月中旬~3月中旬藤まつり/4月下旬~5月上旬
菊祭り/10月下旬~11月下旬

住所/ 江東区亀戸3-6-1  電話 / 03-3681-0010
 





         





         






 銀世界東十二景  亀井戸天満宮境内一覧
歌川広重 初代
        
 江戸高名会亭尽  亀戸裏門
歌川広重 初代
 






東都名所 亀戸天満宮境内全図
歌川広重 初代
  
       
江戸名所 亀井戸天神ふし
歌川広重 初代
 






東都名所合 亀井戸
歌川国貞 初代 
 
         
江戸自慢三十六興 亀戸初卯詣
 歌川広重 2代
   歌川国貞 初代
        
名所江戸百景 亀戸天神境内
歌川広重 初代
 






江戸名勝図会 亀戸天神
歌川広重 2代


         
東都名所
亀井戸池中藤花之盛
歌川広重 初代
 
         
東都三十六景 亀戸天満宮
歌川広重 2代








 亀戸藤乃景   歌川国貞 初代
         
 亀戸藤ノ真盛  歌川国貞 初代






           若  福

亀戸天神の境内に佇む江戸懐石のお店
・ランチメニューもあります。
   住所 / 江東区亀戸3-6-4(亀戸天神内)
電話 / 3685-3354   定休日 / 毎週月曜日
駐車場 / 完備 
 





         





         






               亀戸 升 本 本 店

亀戸大根のお店で両国他あちこちにあります。
住所 / 江東区亀戸4-18-9
電話 / 3637-1533   定休日 / 毎週月曜日
   





         





         






          元祖くず餅 船 橋 屋
亀戸天神参道に文化2年(西暦1805年)に開店した
亀戸天神前本店は創業から二百年あまりたちます。
住所、フロア:東京都江東区亀戸3-2-14
電話 / 03-3681-2784
営業時間 / 9:00~18:00  お召上がり/ 9:00~17:00





          





          





          






東 京 都 ・ 台 東 区


      今 戸 橋 跡
山谷堀の最も下流、隅田川と山谷堀が合流する
ところに架かっていた橋で、山谷堀が埋め立てられた
為、親柱が記念に残っています。
台東区浅草7丁目4番 隅田公園





         





今 戸 橋 跡
Imado Bashi Bridge Ruins

今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。最初に整備された時期は不明ですが、江戸時代の資料に橋を架け渡すという記載が残っています。この橋の下を吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人通る」というほどのにぎわいだったと言われています。現存する欄干は、大正15年(1926年)に竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1978年)現在のような形となりました。



今戸橋(昭和49年撮影)

井上安治 今戸橋雪





歌川広重 江戸名所図絵より
 






     平 成 中 村 座
歌舞伎役者の18世中村勘三郎と演出家の串田和美等が中心
となり、「平成中村座」と名付け、2000年(平成12年)
11月に歌舞伎『隅田川続俤 法界坊』を上演したのが
始まりである。
台東区浅草7丁目1番 隅田公園





         





       平 成 中 村 座
  発祥の地の碑
「江戸時代の芝居小屋を現代に復活させ、多くの方々に
歌舞伎を楽しんでもらいたい」十八世中村勘三郎丈
(当時勘九郎)の抱いてきた夢が「平成中村座」として
二千年十一月、ここ山谷堀に実現しました。第一回公演
は、『隅田川続佛 法界坊』でした






    
花 の 碑
武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の唱歌である「花」を
記念して. 昭和31年(1956年)に建立されました。
台東区浅草7丁目1番 隅田公園





         







花 の 碑
                  台東区浅草7丁目1番
春のうららの隅田川
    のぼりくだりの舟人が・・・
 武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲「花」。本碑は、羽衣自筆の歌詞を刻み、昭和31年(1956)11月3日、
その教え子たちで結成された「武島羽衣先生歌碑建設会」によって建立された。武島羽衣は、明治5年、
日本橋の木綿問屋に生まれ、赤門派の詩人、美文家として知られる人物である。明治33年、東京音楽学校
(現、東京芸術大学)教授である武島羽衣と、同校の助教授、滝廉太郎とともに「花」を完成した。
羽衣28歳、滝廉太郎21歳の時であった。滝廉太郎は、作曲者として有名な人物であるが、よく知られて
いるものに「荒城の月」「鳩ぽっぽ」などがある。「花」完成の3年後、明治36年(1903)6月29日、
24歳の生涯を閉じた。武島羽衣はその後、明治43年から昭和36年退職するまでの長い期間、日本女子大学
で教鞭をふるい、昭和42年(1967)2月3日、94歳で没した。手漕ぎ舟の行き交う、往時ののどかな隅田川。
その情景は、歌曲「花」により、今なお多くの人々に親しまれ、歌いつがれている。
 平成11年3月
                               台東区教育委員会


MONUMENT OF "HANA"
The monument of "HANA" was built in honor of Takeshima Hagoromo,a songwriter and professor, by his
former students in 1956. He wrote a famous Japanese song titled "Hana", which lyrically expressed the beauty
of the Sumida RIver; it starts "Sumida flowing through the warmness of spring time while many
people on boats moving upstream and downstream are enjoying the spring and nature."

Composer of this song was Taki Rentaro, an assistant professor of Tokyo Music School (presently Tokyo
National University of Fine Arts and Music) , and Hagoromo also became the professor in the same school
(Tokyo Music School) in 1897. Both of them worked together and completed the song "HANA". Hagoromo
was born in the family of a cotton cloth wholesaler in Nihonbashi in1872. He became a scholar on Japanese
literature and was also known as a writer with an expressive lyrical style.The monument has his own writing
copied and sculptured ont the stone.
 






       竹 屋 の 渡 し
「竹家の渡し」、「向島の渡し」とも称され、待乳山聖天
のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」
とも称された。「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に
由来する。山谷堀から 向島三囲(みめぐり)神社
(墨田区向島二丁目)を結んでいた。
台東区浅草7丁目1番 隅田公園





         








竹(たけ) 屋(や) の 渡(わた) し
台東区浅草7丁目1番 隅田公園
 
隅田川にあった渡し舟のひとつ。山谷堀口から 向島三囲(みめぐり)神社 (墨田区向島2丁目) の前あたりを結
んでいた。明治40年刊の『東京案内』には『竹屋の渡』とあり、同年発行『東京市浅草全図』では山谷堀入口
南側から対岸へ船路を描き『待乳(まつち)ノ渡、竹家ノ渡トモ云』と記しており、「竹屋の渡」とも、ある
いは「待乳ノ渡し」とも呼ばれたようである。「竹屋」とは、この付近に竹屋という船宿があったためと
いわれ、「待乳」とは待乳山(まつちやま)の麓にあたることに由来する。 「渡し」の創設年代は不明だが、
文政年間 (1818-1830) の地図には、山谷堀に架かる「今戸はし」のかたわらに『竹屋のわたし』の名が見
える。江戸時代、隅田川をのぞむ今戸や橋場は風光明媚な地として知られ、さまざまな文学や絵画の題材
となり、その中には『竹屋の渡し』を描写したものも少なくない。昭和3年言問橋の仮設にともない、
渡し舟は廃止された。
             平成14年3月  
                               台東区教育委員会


The Ferry of Takeya
The Ferry of Takeya, also called the Ferry of Matsuchi, was one of the many ferries operating on the
Sumida River. It connected Sanyabori and Mukojima Mimeguri Shrine. The name Takeya is said to
have been derived from the name of an inn in Sanyabori. The name “Matsuchi” came from the
location of the ferry, which was below Matsuchiyama Shoden. It is unknown when the ferry
service actually began, but the business continued until the Kototoi-bashi Bridge was constructed
in the early Showa Era.
 






     山 の 宿 の 渡 し
渡しのあった花川戸河岸付近は「山の宿町」と呼ばれ、
その町名をとって命名されました。花川戸の渡し
と称されたり、東岸の船着場が北十間川の枕橋の
たもとにあったので「枕橋の渡し」とも称されました。
台東区花川戸1丁目1





         







山 の 宿 の 渡 し
                   台東区花川戸1丁目1番

隅田川渡船の一つに、「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。 明治40年(1907)発行の「東京市浅草区全図」
は、 隅田川に船路を描き、「山ノ宿ノ渡,枕橋ノ渡トモ云」と記入している。位置は 吾妻橋上流約250
メートル。 浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結んでいた。花川戸河岸西隣の町名を、「山の宿町
といった。渡しの名はその町名をとって命名。 別称は、 東岸船着場が枕橋橋畔にあったのにちなむ。
枕橋は 墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。渡船創設年代は
不明。枕橋上流隅田河岸は、 江戸中期頃から墨堤と呼ばれ、行楽地として賑わった。桜の季節は特に
人出が多く、山の宿の渡しは それらの人を墨堤に運んだであろう。したがって、江戸中期以降開設と
みなせるが、 天明元年(1781)作「隅田川両岸一覧図絵」は この渡しを描いていない。
平成4年11月 
                                 台東区教育委員会


Yamanoshuku no Watashi Ferry

In the days when ferries crossed the Sumida River there was a ferry called the “Yamanoshuku no
Watashi” (the word “watashi” means ferry). In a map printed in 1907 ferry routes are shown, and
“Yamanoshuku no watashi”, which was also known as “Makura-bashi no Watashi” is mentioned.
The ferry route was approximately 250 metres upstream of Azuma-bashi Bridge and linked the
iver-bank at Hanakawado with the Nakanogo Kawaramachi area. The name of the ferry is derived
from the name of the district of Yamanoshuku which was tothe west of the riverbank at
Hanakawado. The alternative name is connected to the fact that the arrivel point on the eastern
bank of the river was at the approach to Makura-bashi Bridge.Makura-bashi Bridge stands near to
the point where Kitajikken River from Sumi-da ward flows into the Sumida River. It is not clear
which the ferry serving this route was started. From about the mid Edo period (around the 1890s),
the bank of the Sumida River upstream of Makura-bashi Bridge was popular as a site for cherry
blossom viewing.
 






         あんこやさんのアンパン
ア ン デ ス 
株式会社 的場製餡所のアンテナショップとして、
様々な種類のあんパン及び餡を製造・販売しいます。

住所 / 台東区浅草3-3-2
電話 / 03-3876-2569
営業時間 / AM 8:00 ~ PM 6:30
定休日 / 日曜・祝日





         





         






栃  木  県


            お お ひ ら 歴 史 民 俗 資 料 館・

おおひら郷土資料館 白石家戸長屋敷
映画テレビの撮影場所として有名です!

住所/栃木市大平町西山田898-1
電話/0282-43-8686






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在庫なしの人気です!
 
 
         





         





         





         





         





         





         





         





蔵の町&小江戸の栃 木 市

 小江戸とは江戸時代の風情を残す古い町並みが残る町及び歴史的に江戸との関わりが深い町の事
を言うそうです。江戸時代に栃木が発展した理由は、巴波川(うずまがわ)から利根川に上り
江戸まで材木を運んだ交易都市として又、日光東照宮までつづく例幣使海道の宿場町としての
役割が大きいといわれています。
駅前でレンタサイクル,3時間で300円





          






                    小江戸そば 好古壱番館

大正12年に建てられた洋館を利用した食事処です。
手打ちそばの他、とちぎ江戸料理メニュー「ごぼう餅」
、ジャガイモ入り焼きそばなどがあります。
住 所/栃木市万町4-2     電 話/0282-24-1188
営業時間 11:00~15:00    土日祭日/11:00〜15:30
定 休 日/火曜(祝日は営業)
 





         





         





      岡  田  記  念  館
地元で500年以上の歴史を誇る岡田家の3棟の土蔵を公開した資料館。
古くは武士でしたが、江戸時代の慶長年間に、栃木市に移住し荒地を
開墾しました。それ以来代々の当主は嘉右衛門を名乗り、「嘉右衛
門町」の町名の由来となりました。日光例幣使街道が開通すると、
名主役、本陣を勤め、代官職を代行するようになりました。館内に
は、代々の当主が使用した調度品や、貴重な文献、交流のあった
文人、墨客が残した美術品などが展示されています。

住 所 /栃木市嘉右衛町1-12    電 話/0282-22-0001    
開 館 日/土・日・月曜日・祝日     営業時間/9:30~17:00 (有料) 





         





         





         





         






       御 菓 子 処 菊 家
蔵などが残る巴波川沿いにあります。
ニャンとお返事をする観光客に人気の近所の
ニャンコチャンがいます。

住 所/栃木市湊町2-13    電 話/0282-25-7808
営業時間
/9:00~18:30    定 休 日/水曜日  





         






菊屋さんのお店の前の巴 波 川







         






         栃 木 歌 麿 館
江戸後期の浮世絵師喜多川歌麿と栃木市のゆかりを中心とした
文化情報を発信するために、歌麿とその時代の関連資料
(浮世絵の復刻版など)を展示する「まちなか美術館」
として誕生しました。
住 所/栃木市万町7-1 電 話/0282-25-0560
営業時間/9:00~17:00 (無料)
休 館 日 /月曜日(祝日の場合、翌日)











栃 木 市 所 蔵 の 歌 麿 作 品

《三福神の相撲図》 
寛政3~5年頃
 
                       
《女達磨図》 寛政2~5(1790~1793)年頃


                   
《鍾馗図》
寛政3~5年頃






花 「吉原の花」 
(原本:ワズワース・アセーニアム美術館所蔵)







「深川の雪」 (原本:岡田美術館所蔵) 
享和2~文化3年頃 
 
      
  品川の月」 (原本:フリーア美術館蔵) 
天明8年(1788)頃)
 






  

  
     山 本 有 三 ふるさと記念館
大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。
日本芸術院会員、文化勲章受章者。 社会劇・歴史劇を次々に発表し、
大正末期より小説家に転じる。戦後貴族院勅選議員に勅任され
貴族院が廃止されるまで務めた。其の後第1回参議院選挙に全国区
から出馬して当選、参議院議員を1期務めた。
住所/栃木市万町5-3 電話/0282-22-8805
休館日/月曜日(祝日の場合、翌日)・ 年末年始(12月29日~1月3日)
営業時間/9:00~17:00   
入館料/一般個人(高校生以上) 200円/中学生以下 無料
山車会館共通券(一般個人のみ) 550円





         






栃木駅駅前の路傍の石の文学碑
「たったひとりしかない自分を たった一度
しかない一生を ほんとうに生かさなかったら
人間うまれてきたかいが ないじゃないか」







下  野  新  聞  社 栃木支局

住 所 / 栃木市万町7-5   電 話 / 0282-20-1123
 

         







下 野 新 聞 と 栃 木
「下野新聞」の前身である「栃木新聞」は栃木町で産声をあげた。いわゆる第一次栃木新聞
である。ここからさほど遠くない栃木町万町一丁目三一七番地の万象堂から一八七八 (明治十一)
年六月一日に創刊された。タブロイド判四ページ、月八回の発行で一部一銭五厘。わずか五カ月
後の第三十七号で廃刊になる。しかし、啓発的新聞の発行をめざした田中正造らは、田中自らが
編集長に就き、七十九 (明治十二) 年八月二日、栃木町旭町一丁目一五九番地の共進社から第二次
栃木新聞を発行した。第二次栃木新聞も経営難で経営陣を刷新したものの台所は火の車こうした
中、足利町四丁目で「足利新報」を発行していた旭香社と合併する。八二 (明治十五) 年九月八日、
社名を旭香社と変え第三次栃木新聞が生まれた。八四 (明治十七) 年一月、県庁が栃木町から宇都宮町
に移転したため、宇都宮移転を決定、「下野旭新聞」を発行していた鶏鳴社と合併し社名を旭香社
とした。同年三月七日、題字を 「下野新聞」 として第一号が誕生した。 「下野新聞」は県民の支持
の下、その後順調に発展、今日に至っている。

付 記
 本建物は元肥料豪商で知られた毛塚惣八が建てた蔵屋敷を修復したものである。毛塚家は、江戸中期
後半から昭和まで続いた県内きっての肥料・麻苧の豪商であり「栃木の毛惣」とまでいわれた。
表通りの 「見世蔵」は二代目惣八が一八六一 (文久元)年六月に建築したもので、
直径四〇センチを超える長さ九メートルの松の梁には 「文久元年辛酉六月吉日 毛塚二代目惣八建立 
棟梁鈴木七右衛門作仕事師関口幸助」と記してある。一九九九年三月の創刊一一五周年を記念して当
見世蔵を支局とした。
下 野 新 聞 社
 






             
史 跡 足 利 学 校 跡
 平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝え
られる足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、
その遺跡は大正10年に国の史跡に 指定されています。
住 所/足利市昌平町2338    電  話/0284-41-2655

 公 開/9:00~16:00    休  業/第3月曜日、12/29-1/3 





         





         





         






              銀 丸 本 店
天然醸造・無添加のお味噌
住 所 / 足利市昌平町2359 
電 話 / 0284-43-8877 
営業時間 / 11:00~22:00 
休 業 /月 曜 日






 足利学校の斜め前です!
        






        






                  あしかがフラワーパーク
あ し か が の 大 藤
アメリカのCNNにより、「世界の夢の旅行先10ヵ所」
に日本から唯一選ばれたそうです。
 
住所/足利市迫間町607     電話/0284-91-4939 
営業時間/7:00~21:00 
(ライトアプ期間以外は18:00まで)





     
あしかがフラワーパークホームページより 





         












            高   平   寺
桜の花のお寺
慈覚大師円仁が9歳まで養育されたお寺だそうです。
慈覚大師の研究で博士号を授与されたライシャワー博士
は駐日大使だった昭和33年(1953年)3月誕生地を訪れ、
慈覚大師を「世界的偉人」と称えられたそうです。
 
住 所/栃木市下津原1457  電 話/0282-55-2505





         





         






 中央に岩舟山が見えます。V字に切れているのは
東日本大震災の時にできた割れ目だそうです。
 
        






         






              大 長 菓 子 店
日光東照宮より感謝の大木札
長年の和菓子の功労で頂いたそうです。
住 所 / 佐野市相生町21 
電 話 / 0283-22-1354
 





              




 
         






秋 田 県・東京都千代田区


                 角 館 の 武 家 屋 敷 
みちのくの小京都と呼ばれています。この武家屋敷群
の表通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定
を受けており、文化財として保護されています。元和
6年(1620)江戸時代のはじめ、芦名氏により大規模
な都市計画が実施され、その後は佐竹北家の城下町と
して栄えました。保存地区は旧武家町のほぼ中央にあり
上・中級武士の武家屋敷にあたるところです。広い通り
沿いに塀が連続し、シダレザクラやモミの大木が深い
木立を形成しております。





         





         






       国民公園 皇居外苑半蔵門園地
駐日英国大使館の敷地の一部が日本に返還され、公園
(皇居外苑)になります
住 所 / 千代田区麹町1丁目12−10





         





         





         





        





             






      き の こ カフェ
ランチタイムは4種類のお弁当を販売、イートインできますが、
早めに行かないと売り切れてしまうようです。
数ある梅の品種の中でも果実が最高級とされる南高梅の
梅干しが手頃な値段で購入出来ます。
       住 所 / 千代田区麹町2丁目14-3
電 話 / 03-3222-8750






         





         





           






左はあんず漬けで右側は梅甘酢漬けです。
          
南高梅いろいろ 





魅力的な品物が勢ぞろいという感じがします!

         





         





         








           鶴 屋 八 幡
元禄15年(1702)創業で、老舗菓子店虎屋伊織が
鶴屋八幡の前身です。店の間口は六、七間もあり、
その隆盛ぶりは『東海道中膝栗毛』に登場し、
『摂津名所図会』寛政10年(1798)には、百花群がる
盛況ぶりが描かれています。

住  所/千代田区麹町2-4 電 話/03-3263-7766
定 休 日/日曜営業
営業時間/月~金 9:00~19:0
 /土・日・祝 9:00~17:30 





         





         






                  DIAMOND HOTEL
皇居半蔵門の近くで、英国大使館のはす向かいです。
公式サイトからの予約がお得!
「レストランプルメリア」の、無料朝食付き宿泊プラン!
朝食は、AM7:00~AM10:00まで

 住 所 /千代田区麹町1-10-3 
 電 話 / 03-3623-2211
 





         





         






レストラン プルメリア
毎週火曜日は男性、毎週木曜日は女性に限り特定の
ランチメニューが半額となります。
※祝祭日は除きます。 TEL:03-3263-2214 
         
レストラン 中国料理 金剛飯店
月曜日はレディースDay!! ランチセット全て1,100円(税込)
水曜日はメンズDay!! 指定の麺・飯セット1,100円(税込)
※祝祭日は除きます。
TEL:03-3262-4756
ランチ  11:30~14:00

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