向島百花園・佐 原 鞠 塢 の 茶 店 
        ( スカイ姫のつぶやき19 )
                                    ト ッ プ ペ ー ジ ヘ



         





         





         





         





         





         





         





            





         



 百花園は仙台出身の骨董商北野屋平兵衛こと佐原鞠塢(さはらきくう)が、元「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手して、文化2年(1805)に当時の文人墨客(「百花園」の命名者である絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝ら)の協力を得て創設したのが始まりとされています。360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸に既に「梅屋敷」があったため「新梅屋敷」と呼ばれていました。

茶亭さはらは佐原鞠塢7代目 の佐原洋子さんより、8代目の滋元さんそして9代目 のまどかさんが受け継がれています。緑いっぱいの百花園の景色を見ながらのしょうがの氷と百花園の梅の氷、癒されます!
住 所 / 東向島3-18-3(向島百花園)
電 話 / 03-3619-4997





          






茶亭さはらは庭門をくぐって左側にあります。  
          
奥に茶亭さはらが見えます  





         






隅 田 川 七 福 神







         
                                                (茶亭さはら 隅田川七福神めぐりよりコピー)

お参りの方法
元旦から七草(七日)までをご開帳としております。江戸から伝わる参拝方法は、各寺社で神様のご分体をお請けし、
お集めになったご分体を宝舟にお乗せしておまつりください。宝舟は三囲神社か多聞寺でお請けください。

ご  集  印
ご参拝のお印としてご開帳の間、ご集印帳や色紙に各寺社のご神号・
ご朱印を揮毫していただくことができます。


     毘 沙 門 天
(多 聞 寺) 
   本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられる。
昔、村人達は、本堂の前に住む狸の悪戯に悩んでいた。
その村人を毘沙門天門下の禅尼師童子が狸を懲らしめ
救ったという伝説が伝わる。 
   
約1500m 
   
    寿   老  神
( 白 鬚 神 社)
 
  祭神の猿田彦命は道案内の守り神ということから、お客を案内
する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれる。隅田川七福神の中
でなかなか見つからなかった寿老人を、白い鬚の長寿の神様
として白鬚大明神にあてたことから「神」としている。 
   
約200m 
   
    福  禄  寿  尊
(向島百花園 )
  文化元年(1804)に開かれた百花園に集まる江戸の町民文化
を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが始まっ
た。福禄寿尊像は開祖佐原鞠塢が百花園の草花にちなみ、
本草の神として愛蔵し信仰していたもの。

   
約1000m 
   
    (弁  財  天)
  長 命 寺
 
  三代将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛を、寺内の井戸水で薬を
服用し快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も
長命寺とした。弁財天は河(水)の神ということから蛇が
お使いとして選ばれ、己の日に参拝する風習が生まれた。 
   
約50m 
   
    布  袋  尊
  (弘 福 寺) 
  黄檗宗で中国風の特色を持つ禅宗建物。布袋尊は七福神の中
で唯一実在した中国の禅僧で弥勒の化身といわれる。咳の爺婆
尊像は、風外和尚が修行中、両親を偲び刻んだもので、風外
の石像だから風邪にも強かろうと風邪除けの信仰を集めた。 
   
約300m  
   
    恵  比  寿  神
  大    国    神
  
    (三 囲 神 社)
 
  三井寺の僧源慶が弘法大師創建の由来を持つ荒れた祠を再建
したとき、出土した神像の周りを、白狐が現れ三回巡り、
消え去ったことから「みめぐり」の名が起こったとされる。
大國・恵比寿は越後屋(現三越)にまつられていたもの。





はるこま七福神めぐり
2019年1月3日(木)

第一部 隅田川七福神めぐり (10:00~13:00予定 )
多聞寺(10:00)⇒白鬚神社(10:30)⇒向島百花園(10:45)⇒じまん草餅(11:15)⇒
長命寺桜餅(11:30)⇒言問団子(11:45)⇒長命寺(12:15)⇒弘福寺(12:30)⇒三囲神社(12:45)

第二部   まちまわり (13:30 ~15:15予定 )  向島二丁目を中心として

  第三部   奉納演芸と福引 (15:15~16:00予定 )   会場・三囲神社境内
初春のお祝い芸と諸(玉すだれ、大黒舞など)本年も豪華賞品の当たる 「福引」 を行います



         





オシナリ君& 向嶋言問姐さん人力車で七福神詣り!
2019年1月3日(木)
スタートは10:00 多門寺→白髭神社→百花園(昼食)→長命寺→弘福寺→三囲神社です。


         





         





         




七  草  粥
平成30年1月5日~7日
春の七草→①・セリ、②・ナズナ、③・ゴギョウ、④・ハコベラ、⑤・ホトケノザ、
⑥・スズナ、⑦・スズシロ
お正月の豪華な食べ物や飲酒で疲れ切った内臓をいたわる効果やビタミン不足を補う効果があるそうです。
七草の日の早朝、七草を粥に入れたて食べる古い習慣がある。それは春の七草が
古来より災いを去り長寿富貴を得る植物として食されてきたからだそうです。 



七  草  粥  風  景

         





百花園の創設者佐原鞠塢が書かれた春の七草考

        





七 草 籠 の 準 備 中

         





春 の 七 草

          

初春を迎える「春の七草籠」
「春の七草」の籠植は、百花園が発祥の地茶亭さはらでお分けしている七草籠は、百花園を愛する
皆さんが集う「なゝくさの会」が自主制作しているもので、竹籠は献上の籠を作る職人さんが
作ったものです。お歳暮や遠くの方には、宅急便で贈れます。






江 戸 の 大 道 芸
百花園主催の江戸の大道芸が茶店の前で行われました。楽しい一時でした
平成30年2月10日(土)、2月25日(日)   11時30分 13時30分 15時 (各回約30分)


         






花 文 字 実 演 中 ! 
         
大黒様が小判を蒔いて下さいました。 





『菊が彩る江戸花屋敷』
「古典菊・菊盆栽の展示」
開催期間 令和2年11月3日(火・祝)~11月23日(月・祝)


         





         





令 和 2 年 8 月25日

         





         





           
ピンクはアカジソシロップでトッピングは百花園
の梅で作ったジャムです。天然100パーセントの
かき氷で美味しくてハマリ中です。





令 和 2 年 6 月

         





 大 輪 朝 顔 展
2019年7月28日(日)~8月4日(日)


         





         





冬 に 咲 く 華 二 輪

         





         





         





  
桑 の 茶 屋 跡
明治時代に上野の博覧会で使用した二階建ての建物があり、
桑の木で作られていたことから「桑の茶屋」と呼ばれていました。


             






桑 の 茶 屋 跡
(The remain of Kuwa-no-Chaya)
ここには、明治時代に上野の博覧会で使用した二階建ての建物があり、桑の木で作られていたことから「桑の茶屋」と
呼ばれていました。しかしながら、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で百花園が壊滅的な打撃をうけた時に、桑の茶屋
は取り壊されました。唯一建物に使用されていた欄干が御成座敷に残っています。現在は、建物があった当初の面影は
縁石に残っているのみとなりますが、園内における一番高い地形から眺める水辺の景色が当時を偲ばせます。
                                                           参考:江戸の花屋敷

There was a building called “Kuwa-no- Chaya” used for the National industrial exhibition held by Meiji era in Ueno.
However, Mukojima-Hyakkaen Gardens received the destructive blowby the Great Tokyo Air Raid in 1945, and the
Kuwa-no-Chaya was pulled dewn   





隅 田 川 向 嶋 絵 図







東都歳時記 寺島村百花園






タイトル:向しま花屋敷七草
著者:広重  出版者:相ト
収載資料名:東都三十六景
  
      
百花園江戸百景集
江戸自慢三十六興
  
        








江戸の名物名店 向島花屋敷の梅干しの商牌(ラベル)
 
            




           
◆百花園茶や (明治末頃)
 





         
大正時代の御成座敷前景と御成の間室内(茶亭さはらホームページより)






隅 田 川 焼
有形文化財(工芸品) 佐原家所蔵(非公開)
東京都ホームページより 
 
            
絵付けを楽しむ榎本武揚ほか
七福神碑揮毫のメンバー
 





東郷菊 和名発祥の地

       

元帥(げんすい)がいただいた菊(きく)
今(いま)から100年前(ねんまえ)の頃の明治時代(めいじじだい)。日本(にほん)の国(くに)は、北(きた)にあるロシアの国と戦争(せんそう)をしました。ロシアからバルチック艦隊(かんたい)という大変(たいへん)に強(つよ)い海軍(かいぐん)が押(お)し寄(よ)せました。世界(せかい)の人(ひと)が日本は負(ま)けると思(おも)いましたが、その海軍を対馬(つしま)の沖(おき)で破(やぶ)り、日本は勝ちました。その時(とき)、日本の海軍を指揮(しき)したのが東郷平八郎(とうごうへいはちろう)さんで、元帥(げんすい)(軍人(ぐんじん)の中で一番偉(いちばんえら)い人(ひと))なりました。東郷さんがイギリスのエドワード7世(せい)の戴冠式(たいかんしき)(王様(おうさま)になる式(しき))に出席(しゅっせき)した時(とき)、ロンドンのキュー植物園(しょくぶつえん)から種(たね)をいただきました。日本に帰(かえ)った東郷さんは、よく遊(あそ)びに行(い)っていた百花園でその種を育(そだ)てることにしました。この花(はな)は「東郷菊(とうごうぎく)」と呼(よ)ばれ、8月(はちがつ)から10月(じゅうがつ)ごろまで、山吹色(やまぶきいろ)の花びらと茶色(ちゃいろ)の花芯(かしん)(花の真(ま)ん中(なか))の花を咲(さ)かせます。日本の菊は、生(う)まれた国は離(はな)れていますが東郷菊(とうごうぎく)の仲間です。

・百花園は東郷菊の和名発祥(わめいはっしょう)の地(ち)です。
                 注: この文では、植物の分類が同じ「属」のものを兄弟、「科」が同じものを仲間と呼びます。

百花園探検カード NO003
制作 百花園サポート士隊  墨田区東向島3-18-3 向島百花園内
協力 向島百花園創設200周年行事実行委員会





ロシア人の方からのプレゼント


或る日ロシア人の方が百花園に来られて
この絵を佐原さんに見せて下さったそうです。
絵を描かれた方のお孫さんに当たる方で、
佐原さん所有の、白黒の写真と一致して
驚かれ、歓びの中にこの絵を下さった
そうです。
 
            






す み だ の 屏 風


 向 島 百 花 園  
      
葛 飾 北 斎  
    
 大 蔵 別 邸  





御 成 り 座 敷 で 落 語 と 版 画
令和元年12月15日(日)

           
書は百花園の木札を書かれている書家の方
に書いて頂きました。 
 





             
江戸文字提灯の制作者大石智弘さんです! 





 茶亭さはらのお土産いろいろ

         





         





         





 寿 星 梅

            

園祖 佐原きくうが梅樹三百数十本を植え、「梅は百花にさきがけて咲く」と酒井抱一が名づけられたといわれる百花園。その中の老樹を徳川田安候が、隅田川七福神の福禄寿尊にちなみ「寿星梅」と命名され、また、園内で採れる梅干しも「寿星梅」の商標でお土産といたしておりました。昔の味を今に小梅をご賞味ください。
文 化 元 年 開 園   向 島 百 花 園
              茶 亭  さはら





都  鳥  土  鈴

            

東窯では、乃木大将も自作の酒器を焼き、百花園のひとときを楽しんでいたと言われています。東窯の素焼でもう一品お土産を作りました。都鳥の素焼きに絵を施した土鈴です。涼やかな音色は懐かしさと共に、百花園の思い出を何時までも蘇らせてくれることと思います。





都 鳥 箸 置 き



百花園には、戦前まで「東窯(あずまかまど)」という窯があり、隅田川の土でお土産として都鳥の箸置きや香炉などの焼き物を作ったり、現在で言う楽焼きがおこなわれていました。お土産の「都鳥箸置き」は、当時のものを型どり、つがいで寄り添う可愛い姿が評判となっております。ご両親へのお土産、結婚のお祝いや引き出物にもご好評をいただいております。





名菓 百 花 園

      

戦災からの復興を記念してつくられた、麦・抹茶・南京豆の三色の落雁です。麦には、お月見の会を表す「ススキと月」、挽き茶には、源氏香の中から「鈴虫」を借り「虫の音を聴く会」を、南京豆には隅田川を象徴する「都鳥」がデザインされています。






籠 提 灯 
     
 木 版 絵 葉 書 
      
秋の七草絵葉書 
      
 野菜菓子
花やしき七種 





 
   押し花しおり
     
秋の七草湯飲み/
コースター
    
木 版 宝 舟

      
   一 筆 箋





百 花 園 の 碑

飯 島 光 峨 翁 之 碑 銘      井 上 和 紫 句 碑     雲 山 先 生 看 梅 詩 碑
  大 窪 詩 仏 画 竹 碑   墨沱梅荘記碑亀田鵬斎   其 角 堂 氷 機 の 句碑 
金 令 舎 道 彦 句 碑    七 十 二 峰 庵 十 湖 句 碑   芝 金 顕 彰 碑 
初代河竹新七追善しのぶ塚の碑   杉 谷 雪 樵 芦 雁 両 碑   雪 中 庵 梅 年 句 碑 
千 寿 庵 益 賀 句 碑    寶 屋 月 彦 句 碑    茶 筅 塚 と 柘 植 黙 翁 句 碑 
月 岡 芳 年 翁 之 碑    鶴  久  子  歌 碑    東  京  市  碑
二  神  石  碑    二代河竹新七追善狂言塚の碑    日 本 橋 石 柱
芭蕉「こんにゃく」の句碑    芭 蕉「春もやや~」句 碑   福 禄 寿 尊 碑 
北 元 居 士 句 碑    矢 田 惠 哉 翁 句 碑     山上臣憶良秋の七草の歌碑
最 中 堂 秋 耳 句 碑   螺 舎 秀 民 句 碑  




東  京  市  碑
向島百花園来由の碑(昭和14年7月建立)


              





福 禄 寿 尊 碑 (隅田川七福神の内)
明治41年7月建立


             





芭 蕉 「春もやや~」 句 碑
春もやや  けしき ととのう
 月と梅   はせお


益 賀 句 碑
鳥の名の 都となりぬ 梅やしき
            千 樹 庵
                益     賀


              





墨 沱 梅 荘 記 碑
亀  田  鵬  斎   


             





雲 山 先 生 看 梅 詩 碑

             




山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)秋の七草の歌碑

          

秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り
かき数うれば 七種(くさ)の花(巻8-1537)

芽の花 乎花葛花 姫部志の花 
姫部志 また藤袴 朝貌(あさがほ)の花(巻8-1538)

董堂敬義の絶筆となった「秋の七草の書」を残すために、遺言通り門人達によって百花園に建てられたもので董堂が亡くなった文政4年(1821)の建碑だそうです。





飯 島 光 峨 翁 之 碑 銘
 明治三十三年七月  


            





井 上 和 紫 句 碑
紫の由かりやすみれ江戸生まれ


             





大 窪 詩 仏 画 竹 碑

             





其 角 堂 氷 機 の 句 碑
朧夜やたれをあるじの墨沱川  


             





金 令 舎 道 彦 句 碑
今日の月さても惜しまぬ光かな
         美 知 彦 
  

             





七 十 二 峰 庵 十 湖 句 碑
何事もかかる浮世か月の雲
明治三十四年四月


             





芝 金 顕 彰 碑
ほととぎす今一声のきかまほし
月はさゆれど姿は見せずエエぢれったい何としよう
しんきくさいじゃないかいな


             





杉 谷 雪 橅 芦 雁 画 碑
明治三十年十一月

 
             





雪 中 庵 梅 年 句 碑
黄昏や又ひとり行く雪の人
   明治18年仲萩建立


             





千 寿 庵 升 賀 句 碑
鳥の名の都となりぬ梅やしき
  千寿庵  益 賀


             





寶  屋  月  彦  句  碑
 うつくしき
       ものは月日
         ぞ年の花
  明治二十四年七月建立   


             





茶 筅 塚 と 柘 植 黙 翁 句 碑
おりたらん草の錦や花やしき


             





月 岡 芳 年 翁 之 碑
千時明治三十年戊戌五月建立

             





鶴  久  子  歌  碑
空蝉の夜のうきことはきこえこぬ
いわおの中も  秋風のふく   


             





二 神 石 碑
くくのちの神 かやのひめの神 
この二柱の神は古事記上巻にある伊邪郡岐
伊邪郡美二神が生んだ神話の中に出てくる神で
久久能智神は木の神、鹿屋野比売神は野の神である
    古事記上巻より


             





日  本  橋  石  柱
日本橋の変遷は木橋、石橋、鉄橋時代と各あるが、
石橋時代の模造品と思うが、文字は徳川慶喜と伝える 


             





芭蕉「こんにゃく」の句碑
こんにゃくのさしみも些しうめの花
       はせを


             





北 元 居 士 句 碑
水や空 あかり持ちあう 夜の秋
         惟 草 書


             





鶯 流 狂 言 師 矢 田 恵 哉 翁 句 碑
花暮ぬ我も帰りを急うずる
  明治二十八年葵己七月建立


             





螺 舎 秀 民 (らしゃしゅうみん) 句 碑
葦の芽や 田へ来水も 角田川  
     明治十八年(1885)10月建之

 
             





最 中 堂 秋 耳 (もなかどうしゅうじ) 句 碑
限(かぎり)なき 
     そらの要
(かなめ)や
              望(もち)の月(つき)  
          明治三十三年九月建立


             





し の ぶ 塚
  
             

隅田川よ二面よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやされる葱売は、
安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。
そが正本を、ある人より贈られて久しゆう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せ
と悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳と名づけその故よし記し
つくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に
遺さんとてのわざなんありける。
明治13年3月 






き ょ う げ ん塚

             

二世河竹新七、俳名は基水、晩に古河黙阿弥と改む壮年より演劇作者となり、
古稀の齢を踰えて明治二十五年の春、喜の字祝さえなしけるに、明くる年料ら
ずも病のために身まかりぬ。その一生の閒に書き綴りたる新作の狂言およそ
三百余ほどありて、古来の作者の珍しきことなれば、その名を続ける門人等師
のむすめと計り、これを後の世に伝えてんと、石を建てて狂言塚と名づけ、
初代の名残の葱塚になずらえて、しのぶの文字を書きつくることしかり。
明治二十七年十一月 





墨 田 区 内 循 環 バ ス 時 刻 表
(すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん)








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