スカイ姫のつぶやき街角・北西部ルート6(見番通り周辺)
見番通り入口バス停(桜橋東詰)


➀長命寺~桜橋通り
 
    見 番 通 り  〇三代将軍家光が鷹狩りの際、急に体調を崩し長命寺境内の井戸水で薬を服用した
ところ体調がよくなり感謝で長命水という名をつけられた長命寺  隅田川桜橋への坂道
 〇山門、本堂の屋根などに唐風の建築様式をみることができる名刹弘福寺 割烹 美家古
〇幸田露伴や尾崎紅葉などを文壇に紹介したエピソードで有名な淡島寒月旧居跡
   〇大正12年の関東大震災で罹災し、昭和7年に移転した牛嶋神社舊趾


②桜橋通り~言問通り
  〇江戸文化が花開いた時代の風情が薫る向島料亭街  〇博覧会に於いて青柳のお菓子に満足された
元公爵従二位勲二等三条元公爵が「正家」の2文字を命名され、看板に筆で書いて下さっ た青柳正家
 〇キャラメル工場からを雑誌「プロレタリア芸術」に発表。プロレタリア文学の新しい作家として
認められた佐多稲子旧居跡   〇文豪志賀直哉の弟の建築家志賀直三氏が内装を手掛けられたカ  ド
   〇伝統文化を紹介し、その遺産を継承していくことを目的としたすみだ郷土文化資料館
 
鬼平情景三囲神社案内板   〇向島歴史散策案内  〇言問橋案内板  言 問 橋
〇三 囲 神 社 ( 〇三囲神社案内板 〇日比翁助石垣の歌碑 〇最古の紀年銘 〇三囲のライオン像
 〇宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑) 〇宗因白露の句碑 〇俳人富田木歩句碑
〇江戸後期を代表する浮世絵師・歌川国芳顕彰碑  〇隅田川七福神コース案内板)
  
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見 番 通 り  墨田区向島2丁目
     





         





         





         






     
長  命  寺 (宝樹山 遍照院)
住 所 / 向島5丁目4番4号  電 話 / 03-3622-7771  
      





         





長命寺裏門(長命寺の桜餅屋さんの隣です)

         





         





        





長 命 水

         






 江戸後期の考証学者、屋代弘賢の筆になる長命水の碑
            





【境内にある歌碑、俳句碑、狂哥碑、筆塚、人物碑等の石碑】


                                         〈墨田区登録文化財〉
成(なる) 島(しま) 柳(りゅう) 北(ほく) の 碑
所 在 墨田区向島五丁目四番四号  長命寺内
成島柳北は幕末明治の随筆家であり、実業家です。天保八年 (一八三七) 江戸に生まれました。
十八歳のとき、家職をついで侍講に進み、将軍家茂のために経書を講じました。慶応元年以来
次第に重んぜられ外国奉行となり、会計副総裁に進み、幕政に加わりました。幕府崩壊とともに
職を退き向島の地に暮らしました。同5年東本願寺の法主に従い訪欧、翌年に帰朝後、公文通誌が
朝野新聞と改題され、紙勢を拡張する機会に社長として迎えられ、雑録欄を担当して時事を風刺し、
大いに読者を喜ばせました。また、外遊の折、修得した生命保険制度の知識を生かし、日本の生命
保険制度の草分けである「共済五百名社」 (明治安田生命の前身) の創立に協力。明治十七年 
(一八八四) 十一月三十日、四十八歳で没しました。この碑は実業家としての柳北の功績を記念し、
明治十八年に建立されました。
平成十八年八月
      墨田区教育委員会







〈墨田区登録文化財〉
出 羽 三 山の 碑
               所 在 地 墨田区向島五丁目四番四号 長命寺
 出羽三山は、山形県のほぼ中央に連なる月山、湯殿山、羽黒山の総称で、古来より山岳信仰や
修験道の霊場として発展してきました。本碑は文政十一年 (一八二八) 四月に建立されましたが、
この時期を含む江戸時代後期には、主に東北、関東地方で講を組織する人々が増え、江戸におい
ても三山登拝を行う人々が少なからずいたといわれています。本碑は盛土を高くした上に建てら
れています。当初の建立地は不明ですが、長命寺によれば、大正十二年 (一九二三) 頃にはすでに
現在地にあったようです。碑の正面中央には、胎蔵界大日如来を表す種子アーンクと「湯殿山」の
文字が彫られています。そして、向かって右側に阿弥陀如来を表す種子キリークと「月山」の文字
を、左側には観世音菩薩を表す種子サと「羽黒山」の文字をそれぞれ配しています。また、左下に
は揮毫者(きごうしゃ)と思われる「空居」の号が刻まれています。出羽三山を崇拝し祀る習慣の
定着が、こうした、石碑の建立につながったと分かります。一方、裏面には、日付とともに建立
に関係した人々七十九名の名前が、居住地ごとに刻まれています。中には判読困難な文字もあり
ますが、浅草、大畑村、請地村、寺嶋村、寺嶋村新田、須崎村、小梅村、中之郷村の人々の名前
を確認することができます。江戸時代後期に隅田川をはさむ向島・本所北部と浅草方面に出羽三
山信仰が普及し、そこに暮らした人々が信仰を共有していたことがうかがえます。現在区内で
は、出羽三山信仰に関係する資料の発見例が少ないため、本碑は貴重な資料といえます。
平成二十五年三月
  墨田区教育委員会
 





根府川石(輝石安山岩)の正面に、松尾芭蕉が詠んだ蒲鉾彫りで刻まれています。
  
   

芭 蕉 雪 見 の 句 碑
所 在 墨田区向島五丁目四番四号  長命寺内
芭蕉の句碑は、全国で千五百余を数えるといわれますが、その中で
「いざさらば雪見にころぶ所まで」
と刻まれたこの雪見の句碑は、最もすぐれた一つといわれています。松尾芭蕉の門人祗空は
この地に庵をつくり、その後、祗空の門人自在庵祗徳は、庵室に芭蕉像を安置し、芭蕉堂としました。
そして、三世自在庵祗徳が安政五年(一八五八)に庵を再興し、この句碑を建立したのです。芭蕉は
寛永二十一年(一六四四)伊賀上野に生まれ、のちに江戸深川六間堀に芭蕉庵を構え、談林派から出て
俳諧の境地を高め、「さび」、「しおり」、「かるみ」に代表される蕉風を不動の地位にしました。
元禄七年(一六九四)旅先の大阪で没しましたが、其角など数多くの門弟を輩出しています。
  平成十八年八月
                  墨田区教育委員会
 





 

風のように踊り
  花のように恋し
 水のように流れる
   木の実ナナ





 

五狂歌師の狂歌碑
九 十 九 翁 長 者 園

『千代迄も爰に 隅田の長命寺 九十九までで落葉かくとは 』

太田蜀山人 狂歌
『どのやふ那 なん題目を かけ累(る)とも よむは妙法連歌狂哥師』

十返舎一九辞世の狂歌
『此世をは ど里やお暇(いとま)に せん古うの 煙りと供に 者(は)ひ左様南ら 』

七十五翁雪廼屋富士丸辞世
『寝て於起(おき)て 呑喰ひの業 世苦能娑婆(よくのしゃば) けふは極楽 南無阿弥陀仏 』

八十三翁天露道人
『朝霞引出す牛の御前はへ もふ草も芽を佐ますた堤 』






 
梅陰先生大黒君碑
大黒屋光大夫の子供である梅陰の碑は
嘉永5年(1852)に妹の良吟比丘尼と門弟がたてた
もので、文は安井息軒によるものだそうです。
         
南無阿弥陀仏碑(左側)  
右側→鏑木渓庵之碑)
真ん中→筆塚







現在庵露心の辞世句碑
          
初代鶴澤清六之塚 (〔区指登録文化財〕)
( 文楽義太夫節三味線方の名跡 )







右側→守川周重の辞世句碑(もりかわちかしげ)
明治時代の浮世絵師
左側→庚申地蔵尊(こうしんじぞうそん)
〔区指定民俗文化財〕 万治二年(1659)建立。

           
右側→江戸桜の碑
左側→孕山堂江雨燈影の碑







 

         
我 興 乃 蘇 鉄 の 碑





長命寺所蔵の文化財

遠湖先生墓碑    奥田昌屏記念の碑    勝川春英翁略伝の碑    帰有伊東氏筆塚 
九十三翁田夫の句碑    月双庵笑魚の句碑     好酒院杓盃猩々居士辞世句碑    好色院道楽宝梅居士の辞世句碑 
三代目橋市の碑    樹月の句碑    退鋒郎毛君疼髪塚銘并序の碑   橘守部・橘冬照墓(墨田区登録史跡)
橘東世の歌碑    丹頂斎一声の句碑    長命水石文の碑    疼雲山居士故帋碑  
鼠取養犬六助塚     藤田呉江先生之碑    密教正道応上綱遺詞の碑     山村一蔵先生碑 






牛御前宮 長命寺 (江戸名所図会より)






     
 弘  福  寺  (黄檗宗 牛頭山)
住 所 / 向島5丁目3番2号  電 話 / 03-3622-4889   
        





         





         





         





         





         





         





         







翁 媼 尊
この石像は、風外禅師(名は慧薫、寛永年間の人)が相州真鶴の山中の洞穴に於て求道して
居た折、禅師が父母に孝養を尽くせぬをいたみ、同地の岩石を以て自らが刻んだ父母の像
です。禅師は之を洞内に安置し恰も父母在すが如く日夜孝養を怠らなかったといわれてお
ります小田原城主當山開基稲葉正則公が、その石像の温容と禅師の至情に感じ、その放置
されるを憐れみ城内に移し供養していましたが、たまたま同公移封の為小田原を去るに當
り、當寺に預けて祀らしめたものです。尚、古くよりこの石像は咳の爺婆尊と称せられ、
口中に病のある者は爺に、咳を病むものは婆に祈願し、全快を得た折には煎り豆と番茶を
添えてその礼に供養するという風習が伝わって居ります。





         





         





         





         





         





         





         





         





         





         





            






江戸名所図会 弘福寺






       淡 島 寒 月 旧 居 跡
安政6年10月23日(1859年11月17日)に日本橋馬喰町
に軽焼きの名店淡島屋に生まれました。長女は教育者・
政治家の木内キヤウ、伯父は幕末の大富豪の伊藤八兵
衛。元禄の作家井原西鶴を再評価し、幸田露伴や尾崎
紅葉など文壇に紹介したエピソードで有名である。
収集家としても有名であり住居の梵雲庵には3000あまり
の玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、1923年9月
1日、関東大震災により、梵雲庵全焼、収集物を全て失う。
住 所 / 向島5-3-2
 





           
今は料亭となっている梵雲庵跡







A multi-talented author and artist
Residence of Awashima Kangetsu

淡 島 寒 月 旧 居 跡
父の淡島椿岳は江戸時代に大流行した軽焼せんべいの名店「淡島屋」を経営する実業家で
大地主であった。また、知識欲が旺盛で、画を学び、ピアノを買って演奏会を開く趣味人
でもあった。明治17(1884)年向島の弘福寺境内隠居所を建てて住んだ。息子の寒月は西鶴再
評価のきっかけをつくり、趣味人として、新聞や雑誌に寄稿実体験をベースにした小説や
江戸にまつわる話などを洒脱なタッチで著し好評を博した。明治26(1893)年頃、父の使って
いた隠居所を梵雲庵と名づけ隠居。「梵雲庵寒月」と号し、悠々自適な生活に入る。夏目漱
石の「吾輩は猫である」に水島寒月という学者が登場するが、モデルは寺田虎彦で、名前は
寒月から採ったといわれている。収集家としても有名で、梵雲庵には三千余の玩具と江戸関連
の貴重な資料があったが、関東大震災ですべて焼失されてしまった。


Awashima Kangetsu (1859-1926) is known for Both his literature and paintings.
His father, Chingaku, was also a painter. He helped popularize the works of Ihara
Saikaku in The course of mentoring novelists Koda Rohan and Ozaki Koyo.
He is also said to have inspired Natsume Soseki’s use of the name
“Mizushima Kangetsu” in the novel I am a Cat.


 
山内神斧が描いた
寒月のイラスト  
   
安政6(1859)年10月23日(11月17日とも)~
大正15(1926)年2月23日。明治の趣味人。
作家、画家でもある。父親も趣味人であ
る画家の淡島椿岳。井原西鶴再評価し、
そのよさを幸田露伴や尾崎紅葉に説き、
世に出すきっかけを作った。 
     
      
今は料亭となっている梵雲庵跡







               






       

 

隅田川・桜 橋 へ の 坂 道

この周辺は墨田区ではNO.1の景色と言っても過言
ではありません。
桜橋通りの突き当たりです。
住 所 / 向島5丁目3番






         





         





         





         





         





         





牛 嶋 神 社 舊 趾
住 所 / 向島5丁目3番
(大正12年の関東大震災後の隅田堤の拡張によって昭和7年に移転しました。)


         





         





         





         





         





         





             





         






       

 割 烹 美 家 古
1926-1945年建築の歴史的建造物で、関東大震災後に
建てられたようです。東京大空襲からも逃れ、
近代向島の雰囲気を伝える料亭建築である
文化庁登録有形文化財に指定されています。
住 所 / 向島5丁目3 -5  電 話 / 03-3622-3850






         





        





         





         






      
向  島  墨  堤  組  合
住 所 / 向島2-9-9  電 話 / 03-3623-6368  
     





         





       

向 嶋 墨 堤 組 合
江戸中期になると社会も安定し、連歌や俳諧などの会席が料理茶屋で開かれるようになった。
こうした宴の席に華を添えるため、踊りや唄で客をもなす芸妓が現れ、花柳界が誕生。以降、
幕末まで大いに栄えた。しかし、明治に入ると、急速な近代化の中でこうした「江戸情緒」
は徐々に失われていく。伝統や文化の損失を惜しむ多くの文化人は、風光明媚な向島に居を移し、
新たな文学や芸術を創造し、花街もかつての賑わいを取り戻していった。 粋な空間で楽しむ
『お座敷遊び』は、文人墨客に愛され、やがて一般の人にも波及していった。向島には、今
なお料亭のお座敷と芸妓、舞や唄などの伝統芸能が脈々と継承されており、一種独特の文化圏
が保たれている。 向嶋墨堤組合は、置屋、芸妓衆など花街の統括管理が主な業務で、平成24年
3月現在、16軒の料亭が加盟し、100名を越える芸妓衆が登録している。規模は都内随一で、
作法、所作に始まり、お座敷でのおもてなしの心を身につけるために、西川流や猿若流などの
日本舞踊の他、鳴物、清元、長唄、常磐津、笛を専属の師匠について修練している。


Mukojima managed to resist the wave of modernization
that swept Japan in the Meiji era, and retains the spirit of
old Edo to this day.The Mukoujima Bokutei Cooperative
works to preserve the historical district, schooling geigi-
performing artists in the traditional arts and overseeing
traditional restaurants.

     
 
 
      

      






 〔江戸高名会亭尽〕 向島   著 者:広 重
大七(向島) 鯉などの川魚料理で有名な店。
浴場があり、貸し浴衣のサービスがあった。
            
〔江戸高名会亭尽〕 向島之図
平岩(向島) 鯉料理で知られる店。







料亭 千 代 田 (ちよだ)
住 所 / 向島5-20-13   定 休 日 土・日・祝祭日
電 話 / 03-3622-1755   営業時間  / 午後6時~午後11時30分


         





料亭 櫻 茶 や (さくらちゃや)
    住 所 / 向島5-24-10  定 休 日 / 日・祝日
電 話 / 03-3622-2800  営業時間 /
はとバスで一人でも参加できる和のもてなし 向島老舗料亭「櫻茶ヤ」
コース番号R2203旅行代金 (大人1名)10,980円があります。

         





料亭 波 む ら (なみむら)
住 所 / 向島2-15-8   定 休 日 / 日・祝日
       電 話 / 03-3626-1641   営業時間 / 午後5時~午後11時


         





料亭 月  笛 (つきぶえ)
住 所 / 向島5-29-9   定 休 日 / 日・祭日
       電 話 / 03-3621-4404   営業時間 / 午後6時~午後12時


         





料亭 道 成 寺(どうじょうじ)
住 所 / 向島5-32-1   定 休 日 / 日・祝日
電 話 / 03-3621-1243


         





料亭 千   穂 (せんすい)
住 所 / 向島2-9-3   定 休 日 / 日・祝祭日 
電 話 / 03-5819-0334   営業時間 / 午後6時~午後12時


         





料亭 ふ 多 葉 (ふたば)
住 所 / 向島5-24-3   定 休 日 / 日・祭日 
電 話 / 03-3624-7010   営業時間 / 午後5時~午後11時


         





料亭 す み 多 (すみだ)
住 所 / 向島2-15-13   定 休 日 / 日曜・祝 日 
電 話 / 03-3622-5234   営業時間 / 午後6時~午後12時


         





料亭 入  舟 (いりふね)
住 所 / 向島5-28-5 定 休 日 / 日・祭日 
電 話 / 03-3622-6233 営業時間 / 午後6時~午後12時


         





料亭 き よ し
住 所 / 向島5-35-3   電 話 /0 3-3622-0224
定 休 日 / 日曜・祝祭日(土曜のみ予約可) 
営業時間 / 午後17時~


         






         菓 匠 青 柳 正 家
和 菓 子 の 老 舗
昭和23年に向島で「青柳」として創業。博覧会に於いて
青柳のお菓子に満足された元公爵従二位勲二等三条
元公爵が「正家」の2文字を命名され、看板に筆で書いて
下さり、昭和28年から「青柳正家」になりました。
菊花御紋章は、宮内庁御用達であった為だそうです。
住 所/向島2-15-9 電 話/03-3622-0028
定 休 日/土・日曜・祝日 営業時間/9:00~19:00 





         





         





         





         







座プトンに腰掛て頂く和菓子
には癒されます。
            
お店の片隅にお茶が準備
されています。

            
一つでも頂けるのが
嬉しいですね!






 

          
どこから切っても栗だらけ  

お店からの一言
昭和24年の第1回全国銘菓奉献結成式典において、当店の味に大変満足されたのを機縁に、一條実孝公
によって命名されたものです。その格式高い「正家」の名を賜った昔から現在まで変わらず、最上級
の材料を吟味し、心を込めた手作りにて「すべてのお客様に満足いただける商品」をと努めております。
和菓子の心「春夏秋冬」の季節感をお届けできるよう、ひとつひとつ大事にお作りしております。






       

カ  ド
絵 画 の 館
先代の父親の知り合いである、文豪志賀直哉の弟
の建築家志賀直三氏が内装を手掛けられました。
住 所 / 向島2-9-9   電 話 / 03-3622-8247
定 休 日 / 月曜  営業時間 / 11:00~22:00  





         





         





         






      
佐 多 稲 子 旧 居 跡
明治37年6月1日、長崎県長崎市に生まれました。
大正4年、向島小梅町(現・墨田区向島)に住む
叔父佐田秀実を頼り、一家で上京しました。
住 所 / 向島2-3-5の突き当たりのようです。
 





 

A leading figure in women's proletarian literature
Residence of Sata Ineko
佐 多 稲 子 旧 居 跡
小学生の頃から利発な文学少女であったが、11歳の時に、結核で亡くなった母の治療費や父の
放蕩などで家計はひっ迫。叔父を頼って、父、祖母と共に長崎から上京、向島小梅町52番地
(現在、隅田公園内)の家に身を寄せることになる。牛嶋尋常小学校5年に転入したものの、家計
を助けるために、キャラメル工場で働かなければならず、結局、小学校は5年で中退してしまった。
その後、料亭、工場、書店などで働きながら、小説や短歌を投稿。これらの経験が、後に
『キャラメル工場から』という作品にまとめられ、出世作となった。戦後、すぐに書かれた自叙伝
ともいえる『私の東京地図』には、長く暮らした向島周辺のことが書かれている。「私の地図の
江戸案内の版画的風景には、三井神社も書かれている。いつもひっそりとした神社だ。淀んだどぶ
池のそばに、閉めたままの障子の白さを見せていたのは其角の家だ、と子ども心にも知っていた」

Sata Ineko (1904-1998) launched her career with
the novella From the Caramel Factory, and soon became
part of the new wave of proletarian literature. After WWⅡ
she strove to establish the Women’s Democratic Club,
contributing significantly to the democratization
movement in Japan.



 牛嶋尋常小学校 (大正5年頃)


 通勤で渡った、大正時代の吾妻橋
      
曳舟川(昭和28年頃)
大正11年にこの川
沿いの向島へ引越
した。
    
本名:佐多イネ
明治37(1904)年6月1日~平成10年
(1998)年10月12日。
『キャラメル工場から』を雑誌「プロレ
タリア芸術」に発表。プロレタリア文学
の新しい作家として認められる。戦後は
、婦人民主クラブの創立に奔走、民主化
運動に貢献た。作品は映画やテレビドラ
マになったものもある。
昭和59年(1984)年に朝日賞受賞






       
すみだ郷土文化資料館
住 所 / 向島2-3-5   電 話 / 03-5619-7034
      

 





         





         





         











       

特 集 展 示
す み だ の 情 景
━━秋・冬━━

古代より交通の要所として知られた中世期には宿が栄えた歴史深い墨田区の北部地域は、
江戸時代には広大な田畑が広がる田園地帯でした。隅田川の清流沿いには由緒ある古刹が
建ち並び、人々はこぞって参拝しました。自然が豊かな向島地域は、曳舟川付近の紅葉や
白鬚神社のあたりの落雁などいくつかの秋の情景が描かれています。また、佐原鞠塢に
よって開園された向島百花園は現在でも季節ごとに草花が楽しめますが、江戸時代から秋は
萩を初めとした秋の七草の名所でもあり、多くの人々が訪れました。さらに隅田川は当時
ら、雪見の名所として有名でした。『東都歳時記』には雪見の名所として、隅田川堤・三囲
神社・長命寺の辺りが挙げられ、多くの絵師によってその光景が描かれました。雪見に訪れ
た人々は、隅田川に船を浮かべて両岸の雪景色を眺めたり、向島の料理茶屋で盃を傾けなが
ら、その風景を楽しみました。隅田川の雪見を描いた浮世絵師からは、冬着を着込んだり火
鉢や炬燵で暖をとりながら雪景色を愛でる人々の様子がうかがえます。江戸時代には有数の
繁華街となり様々な江戸文化発祥の地である南部地域は、明暦三年(1657)に起こった大火が
きっかけで本格的な開拓がなされました。明暦の大火の犠牲者を供養するため、回向院が
建立され、大相撲が興行されるようになり、門前には見世物小屋がたち、繁華街として栄え
ました。また、江戸から、亀戸天満宮や法性寺などに向かう道筋であったため、多くの人々
が往来するようになりました。これら、自然豊かな農村や多くの名刹・古刹、人々で賑わう
市街地の様子など、すみだの変化に富んだ風景は、季節が移り変わるごとに異なる美しさを
せ、人々をさらに魅了しました。本展示では、墨田区域各所の秋から冬にかけての光景を描
いた浮世絵をしょうかいします。
 





ミュウジアムショップ 

         





         





         





         






   
三  囲  神  社
住 所 / 向島2丁目5番17号  電 話 / 03-3622-2672
 
        



 三囲神社案内板  日比翁助石垣の歌碑  〇最古の紀年銘  〇三囲のライオン像   〇宗因白露の句碑
宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)  〇江戸後期を代表する
浮世絵師・歌川国芳顕彰碑
隅田川七福神コース案内板   俳人富田木歩句碑




         





         





三 囲 神 社 案 内 板




Home to the guardian deity of Mitsui family
Mimeguri Shrine
三 囲 神 社
弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。当時は、現在地より北の田んぼの中にあった。
文和年間 (1352~56) に近江の三井寺の僧である源慶が社を改築した折、土中から白狐にまたがる
老翁の像を発見。その像の周りをどこからともなく現れた白狐が、三度回って消えたという
縁起から「三囲」の名がつけられた。三井家は江戸進出時に、その名にあやかって、守護神とし、
平成21(2009)年に旧三越池袋店からシンボルだった青銅製のライオン像が境内に移設された。
照りが続いていた元禄6 (1693) 年、俳人室井一角が能因法師や小野小町の故事に倣い、
「ゆたか」を頭字に詠み込んだ
「ゆふだちや田を見めぐりの 神ならば」
の句を献じたところ、翌日には雨が降り評判になったという話が伝わっている。


This shrine was choosen by the great merchant family Mitsui when they started operating in Tokyo
.“Mimeguri” means “ three times around”.It derives from a1300s legend about a priest Genkei in West
Japan who witnessed a magical white fox running around a recently unearthed sculpture of an old
man mounted on a white fox three times, and then disappearing



明治時代の「三囲神社」
「東京名所図会隅田堤之部」
三囲神社大祭の図


                
墨堤から見た三囲神社
(大正12年頃)



室井其角の「雨乞いの碑」





日 比 翁 助 石 垣 の 歌 碑



日 比 翁 助 石 垣 の 歌 碑 

いしがきの 小石大石持合ひて 御代は
ゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勳
日比翁助は号を美勳と称し 三越呉服店の
会長 わが国 近代的百貨店の創始者であった 
茲来百年 松を新たに植え 旧観を復した  





         





最古の紀年銘

        

最古の紀年銘
藤堂高睦(伊賀上野城主)が宝永3年(1707)に奉納した当神社で最も古い年代を示す石造物





 

墨田区登録文化財
 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)

所在 墨田区向島二丁目五番十七号  三囲神社内

 元禄六年(一六九三)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社
に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人其角が、このあり
さまをみて、能因法師などの雨乞の故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだの
です。この話は其角自撰句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速
効果があったと伝えられています。其角は寛文元年(一六六一)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井
と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、とくに洒落風の句を得意としました。この碑は安永六年
(一七七七)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(一八七三)に再建されたものです。
                    平成十八年(二00六)12月 墨田区教育委員会





三囲のライオン像

     

三囲のライオン像
三越の旧池袋店から移した 三越のシンボルであるライオン像は大正3年 当時の三越呉服店を率いた
日比翁助がライオンを大いに好み 三越本店に 一対のライオン像を据えたのにはじまる 戦後
本店の像をもとに各支店に設置されている ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の
有名なネルソン像をかこむライオンである なお「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の
画期的な商売の仕方は 大いに発展し 明治29年三越呉服店につながる
 





    

(右) ○越は三越の商標。客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ、○越の範形といわれる。
明治29年から昭和の初期まで実際につかわれていた。

(左) ライオンは東洋的意匠の狛犬に変化したのだが、三越のライオン像も狛犬のように
神前を守っている。





 

宗 因 白 露 の 句 碑
   所在 墨田区向島二丁目五番十七号  三囲神社内

 「白露や無分別なる置きどころと刻まれています。」
文化九年(一八一二)西山宗因の流れをくむ素外らが発起人となり、始祖宗因の作品中でもっとも
すぐれたこの句を選んで建立したものです。宗因は慶長一〇年(一六〇五)肥後(現熊本県)に生ま
れた江戸時代初期の著名な連歌師、俳人です。連歌では主に宗因、俳諧では一幽、西翁、梅翁な
どと称しました。のちに大阪天満宮の連歌所宗匠の職につき、連歌界の重鎮として知られました
俳諧を始めたのは晩年に近く、あくまで余技としてした。詠みぶりは軽妙洒脱、急速に俳壇の
人気を集め、談林俳諧勃興(ぼっこう)の起因となった人で、芭蕉は「此道中興
(このみちちゅうこう)
開山なり」と記しています。
                 平成十八年十二月





        

〈墨田区指定文化財〉
一勇斎歌川先生墓表(歌川国芳顕彰碑)

           所在地 墨田区向島二丁目五番十七号 三囲神社
 一勇斎(いちゆうさい)歌川先生とは、幕末を代表する浮世絵師歌川国芳のことです。国芳は、
寛政九年(一七九七)に日本橋で生まれました。十五歳で初代歌川豊国の門人となり、文政
十年(一八二七)頃「通俗水滸伝豪傑百八人一個(ひとり)」の連作を契機に人気を博し、浮
世絵のあらゆる分野で高い水準の作品を残しました。この碑は、文久元年(一八六一)に没
した国芳の十三回忌にあたる明治六年(一八七三)に建立されました。撰文は学者の東條琴
台、篆額と書は萩原秋巌、碑刻は宮亀年受け持ちました。碑文には国芳の出自や経歴、建碑
の経緯などが刻まれています。裏面には、建立者である弟子たちの名が刻まれており、その中
には明治時代の浮世絵を代表する月岡芳年や新聞錦絵の落合芳幾、おもちゃ絵の歌川芳藤
などがみられます。芳年の画系は水野年方から鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎と近代日本
画の流れとして続きました。国芳は向島に居住した時期もあり、この碑は墨田区の浮世絵に
関わる豊かな歴史を示す貴重な文化財といえます。
                           平成二十四年一月
                               墨田区教育委員会

Th career and The monument of Utagawa Kuniyoshi
The carved out letter “Master 1chiyusai Kuniyoshi” in the framed tablet indicates Utagawa
Kuniyoshi, a dominant ukiyoe-artist at the end of Edo period.He was born in Nihonbashi in
1797 and at the age of 15,he became a disciple of Utagawa Toyokuni 1. Not only beginning a
massive boom in Musha-e, warrior prints he also produced high-level prints in all motifs of
ukiyo-e.In 1873, this monument was erected for Kuniyoshi who died in 1861 by the disciples
who worshipped him. The text was formulated Tojo Kindai the scholar, the calligrapher was
Hagiwara Shugan and the carver was Miya Kinen. The text includes Kuniyoshi’s birth, career
and the how and why of this monuments erection. The erecter’s name s were carved on the
back side of the monument. Includes T sukioka Yoshitoshi, a dominat ukiyo-e artist in the
Meiji era. Ochiai Yoshiiku who was famous for Shinbun nishi newspaper printed by woodcut
in the Meiji era and Utagawa Yoshifuji who was well-known as a toy prints artist. The
Yoshitoshi lineage tree is inherited as modern Japanese paa\inting by Mizuno Toshikata to
Kaburaki Kiyokata , Ito Shinsui, and Iwata Sentaro. Kuniyoshi once lived in Mukojima and
so this monument can be a precious cultural treasure whichi provides enriched history
related Ukiyo-e in Sumidacity.
 





隅田川七福神コース案内板

          

隅田川七福神コース案内板
SUMIDAGAWA SHICHIFUKUJIN COURSE INFORMATION
三圍神社 大國神 恵比寿神
 三圍神社の別殿には、古くから大國(だいこく)、恵比寿(えびす)二神の神像が奉安されている。
もとは三井の越後屋(今の三越)にまつられていたものである。江戸時代の終り頃、町人層
の好みが世間のさまざまな分野で表面に現れ、多くの人びとによって支持された時代の流れ
の中で、隅田川七福神が創始されたとき、当社の二神もその中に組み込まれたのであった。
 大國神は慈悲円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神と
して、庶民の信仰を集め、その似かよった御神徳から一対の神として崇められることが多い。
大國を同じ音の大黒(だいこく)とも書く。






      

富 田 木 歩 句 碑 

夢に見れば死もなつかしや冬木風 木歩

(裏面)
 大正拾参年九月一日の一周年に於て 富田木歩君慰霊の為建之 
友人一同 
亜浪書
 






境内の石碑について詳しく書かれています。
社務所で頒布して下さいます。


                





         





         





         





隅田川東岸 三囲稲荷社錦絵集


絵本江戸土産第八編 三囲稲荷 堤より見る図






銀世界東十二景・隅田川両川岸一目の月
絵師:広重(初代)
         
三囲の図  絵師:絵師不詳
  






タイトル:東都名所八景之内 隅田川落雁 
著者:芳虎 出版者:山田屋 出版年月日:安政1
収載資料名:都名所八景之内
          
タイトル:江戸八景 隅田川の落雁 
著者:渓斎英泉 出版者:山本 
収載資料名:江戸八景






江戸高名会亭尽 三囲之景
絵師:広重(初代)

 
          
隅田川雪見 絵師:一猛斎芳虎 出版者:美の
刊行年:[天保-弘化頃] 収載資料名:江戸風俗東錦絵
 






隅田堤三囲の景樅の古木   絵師:五風亭貞虎   
         
 三囲の夜雪  絵師:五渡亭国貞






タイトル:隅田川三囲り堤 
著者:広重 出版者:相ト
出版年月日:文久2
収載資料名:東都三十六景
           
タイトル:暮雪 (三囲) 
著者:長喜
収載資料名:江戸名所八景

           
タイトル:三廻 
著者:豊国
出版者:佐野喜
収載資料名:東都名所合






          
 鬼 平 情 景
      三  囲  神  社

鬼平「迷路」で、玉村の弥吉が妙法寺の九十郎と
出会い、盗みに誘われる舞台となっています。
住 所 / 向島2丁目5番17号  





         





         

鬼 平 情 景
三 囲 神 社 (三囲稲荷社)

三井家 (越後屋) が江戸進出時に三囲の名にあやかって守護神としました。港区にあった
三井八郎右衛門邸が小金井市の江戸東京たてもの園に移築される際には、屋敷神であった顕命霊社、
三角鳥居、家紋の入った水鉢などが奉納された。鬼平犯科帳にも数回、登場しますが、特別長編
「迷路」の「妙法寺の九十郎」には、三囲稲荷社は、大川の堤の道を一段下った鳥居から田圃の
中を松並木の参道が東に伸びた先にあり、境内は広くはないが、美しい木立と竹林に囲まれ、
本社は立派なものであると、当時のたたずまいが描かれています。






     
向 島 歴 史 散 策 案 内

Map of Historical Walking Routes around Mukojima
今もなお都会の喧騒さを忘れさせてくれる向島の界隈。
忘れ去られていく明治、大正、昭和に思いを馳せ、
まち歩きの達人、永井荷風に倣い、多くの文人が愛し、
暮らした街を静かに散策されてはいかがでしょうか 

住 所 / 向島2丁目5番17号  (三囲神社前の歩道に設置)





         

















 
いにしえの“すみだ”
平安時代初期に整備された官道は、現在の隅田川神社辺りとされる隅田の渡を経て、
武蔵の国府(現在の東京都符中市)と下総の国府(現在の千葉県古川市)をつないでいた。
「伊勢物語」の主人公が 〈名にし負はば いざこととわむ都鳥 わが思ふ人は在りやなしや〉
と詠んだ場所は、この隅田ノ渡だったのではないかと思われる。
 

























 
谷文晁の弟子、喜多武清(1776~1856)が描い
たと伝えられる、木版画「隅田川七福遊び
 宝舟」。江戸時代、初夢を見るために、
幸運を呼ぶ宝舟の絵を枕の下に敷くことが
はやった。版画内の舟は、当時の隅田川周
辺の農耕地帯で多く見られた田舟
    The Seven Deities of Good Fortune Pilgrimage
正月元旦から7日までの松の内に七福神を祀る寺社を訪ね歩
いて 開運を祈る七福神めぐりは、19世紀初頭頃から江戸で
盛んに行 われるようになった。向島の隅田川七福神めぐり
は谷中に次いで古く、行程が約1里(約4キロメートル)と適度
で、墨堤沿いの 史跡を訪ねながらたどれる初春の行楽とし
て好まれた。隅田川七福神めぐりは、向島百花園に集う文化
人達が創案した。主の佐原鞠塢が所持していた福禄寿の陶像
から話が広がり、近隣の寺社から七福神を選定したという。
このとき、寿老人だけが揃わなかったが、白鬚明神はおそら
く白鬚のご老体であろうということになり、寿老人にあてら
れた。そのため、隅田川七福神 では寿老人を「寿老神」
と置き替えている。 








「梅若権現御縁起」全三巻。
江戸前期の制作と考えられる。
(木母寺所蔵)



木母寺境内の一角。
左側が梅若塚。ガラス張りの
鞘堂に念仏〇が収まっている
 
       Walking Routes for the Umewaka Legend

梅若伝説は古くから隅田川ゆかりの悲話として知られ、
浄瑠璃や歌舞伎などの題材とされてきた。
梅若伝説の時は平安の半ば。京都北白川の吉田少将惟房
の子、梅若丸が、人買いに連れ去られてしまう。しかし奥州
への途次で梅若丸は病となり、貞元元(976)年3月15日、
隅田川のほとりで12歳の生涯を閉じる。死に際して残した
一首が「たつね来て とわばこたえよ都鳥 
すみだ河原の 露と消えぬと」。
里人たちは、村に来ていた名僧忠圓阿闍梨に頼み、梅若丸
を手厚く葬った。1年後、息子を探し歩く母の花御前が、
通りかかり、息子の死を知る。念仏を唱える母の前に
梅若丸が立ち現れ、親子はつかの間の再会を果たすが、
母の悲嘆は深く、やがて池に身を投じてしまう。
忠圓阿闍梨は塚の脇に堂を建て、二人を供養する。
これが梅若寺で、今日の木母寺となる。  








荷風自身が撮影したといわ
れる玉ノ井。(昭和10年代)



荷風が撮影したと
いわれる戦前の玉ノ井駅。
 
    Tamanoi Area beloved by novelist Nagai Kafu

永井荷風は裕福な家庭に育ったが、学業より芸術や文学への
好奇心の方が高く、心配した父親は実業で身を立たせようと、
海外遊学を勧め、24歳の時、アメリカとフランスへ渡った。6年
に亘る海外生活を終え、敬慕する森鴎外の推薦によって慶應義
塾大学の教授に就任する。しかし、内紛から6年で手を引いて
しまう。その後は作家活動に専念し、多くの作品を発表して
いる。墨田との縁は帰国直後に書き始めた「隅田川」が嚆矢で、
「百花園」「向島」「寺じまの記」「日和下駄」などの舞台
となっている。代表作は昭和12年4月から2ヶ月間、朝日新聞
夕刊に連載された「墨東綺譚」である。玉ノ井の名が全国に
知られるところとなった 。木村荘八の味のある挿絵もまた
好評を博した。

 






      
言 問 橋 案 内 板

墨田区内では両国、蔵前、厩、駒形、吾妻の五橋とと
もに関東大震災の復興橋梁として工事が進められ、完成
に伴い橋の上流にあった向島三囲神社と浅草待乳山聖天
をつなぐ「竹屋の渡し」が廃止されている。 

住 所 / 向島2丁目2





         





         





   

Kototoi Bridge
言 問 橋
 橋の名は、伊勢物語の中心人物、在原業平の詠んだ
「名にしおはば いざ言問はん都鳥 我が想う人は ありやなしやと」
から名づけられた「言問団子」に因ると言われている。
 架橋は昭和3(1928)年、墨田区内では両国、蔵前、厩、駒形、吾妻の五橋とともに
関東大震災の復興橋梁として工事が進められ、完成に伴い橋の上流にあった向島三囲神社と
浅草待乳山聖天をつなぐ「竹屋の渡し」が廃止されている。当初は両国橋とともに巨大な鋼
ゲルバー桁橋として偉容を誇ったが、近年は200メートルを超す大橋が多く目立たなくなった。
とはいえ当時の新進気鋭の技士たちが最先端の技術を駆使して設計施工しただけに文化的価値が
高く、平成20(2008)年に両国橋とともに東京都選定歴史的建造物になっている。昭和20(1945)
年3月10日の大空襲では、両岸から避難民が押し寄せ、多くの犠牲者が出た。平成4(1992)年から
実施された改修工事で欄干と縁石が取り外され、その一部が江戸東京博物館の屋外通路に
保存展示されている。

The name of this bridge is said to have been inspired by the local delicacy Kototoi dumplings,
which in turn were named from a line of poetry written by Ariwara no Narihira a key character
in the Tales of 1se. The bridge was completed in 1928 as part of the rebuilding project after the
Great Kanto Earthquake, in 2008, it receivedspecial designation from the Tokyo
Metropolitan Goverment
 





言 問 橋

         
言問橋、浅草方面に向かって右側の坂道にありました。





             





        





         





         

                                                 ペ ー ジ ト ッ プ へ






つぶやきいってみよう

めうがや  〇あんみつの深 緑 堂  〇ベッカライポンポン  〇向島 平岡   〇むらさき寿司
 〇河原のあべ  〇いりむら  〇向島七福・すずめの御宿   〇下町割烹上総屋  〇魚(うお)さい


        



        め  う  が  や
老舗の足袋屋さんです。
住 所 / 向島5-27-6  電 話 / 03-3626-1413
定 休 日/ 日曜日・祝祭日
営業時間 / 9:00~18:00





         





         





  向島めうがやの沿革
「向島めうがや」は慶応3年(1867)の創業。
初代・長七が万治2年(1659)創業の「めうがや足袋総本店」(旧日本橋区浪花町二番地)より
暖簾わけを許されたのが始まりで、元は浅草田町(現台東区浅草五丁目)に店を構えたが、2代目・
七蔵を経て3代目・由太郎のとき現在地に移転した。関東大震災後の帝都復興事業に伴う区画
整理を契機としての移転であった。
4代目の定男を経て、現5代目の芳和がその伝統を受け継いで今に至っています。







        あんみつの 深  緑  堂
あんみつの国にようこそ!
お隣はベッカライ ポンポンさんです!
毎日手作り一日50食限定
住 所 / 向島5-27-17  定 休 日/ 月・木曜日
電 話 / 03-6658-5449  営業時間 / 11:00~18:00
 





         





         





      

深緑堂のこだわり
深緑堂のあんみつは全て手作り

寒  天
歯ごたえの良い神津島産、味と香りの新潟産、腰の強い伊豆稲取産。三種のてんぐさを独自
にブレンドして、毎日お店で手作りしています。

こ し あ ん
昔ながらの製法で、茹でた小豆を竹ざると馬毛のこし器でこして手作りしています。

黒  蜜
コクがありまろやかな波照間島産と、苦みが効いた西表島産の黒糖をブレンドし、少し大人
向けな味わいに仕上げます

あ ん ず
  希少な長野県産のドライあんずを使っています。

白  玉
  ご注文の後、茹でたてでお出しします。少々お時間をいただきます 






      ベッカライ ポンポン
ドイツパンのお店
ライ麦や自家製種を用いた食事パン!
ベッカライとはドイツ語でベーカリーの意味です
住 所 /向島5-27-17  定 休 日/ 月曜&隔週火曜日
電 話 /03-5809-7595  営業時間 /8:30~17:00
 





         





            





         






      
向 島   平 岡
すっぽん ふぐ 季節一品料理
ランチが出頃な値段で有り難いです!
住 所/ 向島5-19-12  定 休 日
電 話 /03-3622-4006  ランチタイム /11:30~14:00
 





         





         





         






      
むらさき寿司
住 所 / 向島2-9-15  電 話 / 03-3623-3962
定 休 日 / 水曜日
 











          






      
河 原 の あ べ
ボリュウムタップリの天丼に、ランチタイムは手づくり
の野菜中心のお惣菜が常時7種類無料で食べ放題です!
住 所 / 向島5-24-2   電 話 / 03-6796-5860
定 休 日 / 水曜日  駐車場 / 有
 





         





         





         






       い り む ら
ご主人が1枚1枚手作りで、国産の紀州備長炭で
焼く超高級煎餅!
向島見番のはす向かいです。
住 所 / 向島2-15-5  定 休 日 / 日祝、祝祭日
電 話 / 03-3122-5782  営業時間 / 9:00~21:00 





         





         





         





         






       
向島七福・す ず め の 御 宿
江 戸 そ ば
住所 / 向島2-15-13  電話 / 03-3622-4235
定 休 日 / 水 曜 日 





         





         





         





すずめの御宿別館

         





         






        下町割烹 上 総 屋

お座敷ランチ・法事プラン・記念に残るお祝い席
ご慶事・七五三・イベント等
住所 / 向島2-2-10  電話 / 03-3622-7418
 





         





         





         






          (うお)さ い

創業98年の老舗の料理を味わえます。
住 所 / 向島2-2-10  電 話 / 03-3622-7428 
定 休 日/ 水曜日
 





         





         






       
向 島 ま ね き 屋
開店してから21年、芸妓さんの行き交う料亭街
の中にあり、花街の方々もお得意様です。
京都のお店を感じます。
住 所 / 向島2-7-11  電 話 / 03-3829-0088
定 休 日 / 日祝、祭日  
時 間:12:00~19:00





         





         





          





            



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墨 田 区 内 循 環 バ ス 時 刻 表
(すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん)






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