スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート6
(見番通り入口(桜橋東詰))見番通り周辺)



隅田川を中心とした墨田区の歴史・伝統文化を紹介するすみだ郷土文化資料館、
江戸文化が花開いた時代の風情が感じられる見番通りの向島料亭街、
牛嶋神社誕生の地他10件を表示



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        見番通り入口(桜橋東詰) 見番通り周辺

  向 島見 番 通 り     長 命 寺    弘 福 寺  淡島寒月旧居跡

 隅田川桜橋への坂道        割烹 美家古向島本店

 向 島 墨 堤 組 合   青 柳 正 家   すみだ郷土文化資料館

 鬼平情景三囲神社案内板  佐多稲子旧居跡  向島歴史散策案内版

 言 問 橋     三 囲 神 社  言問橋案内板  向島 めうがや





        見番通り入口(桜橋東詰) 見番通り周辺




     向 島 見 番 通 り
見番といわれる花柳界の組合があることから名づけ
られました。この通りには、向島墨堤組合(見番)
のほか、長命寺や三囲神社などの神社仏閣が隣接
しています。また、北端には、王貞治氏が少年
時代を過ごした隅田公園少年野球場があります。

墨田区向島2丁目





      見 番 通 り
Kemban-dori St
見番といわれる花柳界の組合があることから名づけ
られました。この通りには、向島墨堤組合(見番)
のほか、長命寺や三囲神社などの神社仏閣が隣接し、
また、北端には、王貞治氏が少年時代を過ごした
隅田公園少年野球場があります。
This street is named for the Kemban, as the geisha association
located there is colloquially known. In addition to the Mukojima
Bokutei Kumiai Association (Kemban), the street abuts Chomeiji
Temple, Mimeguri-jinjya Shrine, and other shrines and temples.
The Sumida Park Youth Baseball ground, where Sadaharu Oh played
in his youth, is located at its northern terminus. 





         





         





         






     
    長  命  寺 (宝樹山 遍照院)
将軍家光が鷹狩りに来た時、急に腹痛をおこし
ましたが、住職が加持した庭の井戸の水で薬を
用したところ、痛みが治まったので、長名水の
名をいただき寺号も長命寺とされました。
隅田川七福神の弁才天が祀られています。

住 所 / 向島5丁目4番4号  電 話 / 03-3622-7771
  





     

長 命 寺
Chomeiji Temple
(Sumidagawa-shchifukujin)

将軍家光が鷹狩りに来た時、急に腹痛をおこし
ましたが、住職が加持した庭の井戸の水で薬を服
用したところ、痛みが治まったので、長名水の
名をいただき、寺号も長命寺とされました。また、
隅田川七福神の弁才天が祀られています。

This temple is said to have received its name ,which
means “long life” , after the shogun Iemitsu recovered
from a sudden onset of stomach pain while hunting
wich his falcon upon drinking medicine with water
from a well in its garden, where the chief priest had
prayed. It is also dedicated to Benzaiten (the goddess
of music, singing, and dancing), one of the seven
gods of fortune associated with the Sumida River. 






         





長命寺裏門(長命寺の桜餅屋さんの隣です)

         





         





        





長 命 水

         






 江戸後期の考証学者、屋代弘賢の筆になる長命水の碑
            





【境内にある歌碑、俳句碑、狂哥碑、筆塚、人物碑等の石碑】


                                         〈墨田区登録文化財〉
成 島 柳 北(なるしまりゅうほく) の 碑
所 在 墨田区向島五丁目四番四号  長命寺内
成島柳北は幕末明治の随筆家であり、実業家です。天保八年 (一八三七) 江戸に生まれました。
十八歳のとき、家職をついで侍講に進み、将軍家茂のために経書を講じました。慶応元年以来
次第に重んぜられ外国奉行となり、会計副総裁に進み、幕政に加わりました。幕府崩壊とともに
職を退き向島の地に暮らしました。同5年東本願寺の法主に従い訪欧、翌年に帰朝後、公文通誌が
朝野新聞と改題され、紙勢を拡張する機会に社長として迎えられ、雑録欄を担当して時事を風刺し、
大いに読者を喜ばせました。また、外遊の折、修得した生命保険制度の知識を生かし、日本の生命
保険制度の草分けである「共済五百名社」 (明治安田生命の前身) の創立に協力。明治十七年 
(一八八四) 十一月三十日、四十八歳で没しました。この碑は実業家としての柳北の功績を記念し、
明治十八年に建立されました。
平成十八年八月
      墨田区教育委員会







〈墨田区登録文化財〉
出 羽 三 山 の 碑
               所 在 地 墨田区向島五丁目四番四号 長命寺
 出羽三山は、山形県のほぼ中央に連なる月山、湯殿山、羽黒山の総称で、古来より山岳信仰や
修験道の霊場として発展してきました。本碑は文政十一年 (一八二八) 四月に建立されましたが、
この時期を含む江戸時代後期には、主に東北、関東地方で講を組織する人々が増え、江戸におい
ても三山登拝を行う人々が少なからずいたといわれています。本碑は盛土を高くした上に建てら
れています。当初の建立地は不明ですが、長命寺によれば、大正十二年 (一九二三) 頃にはすでに
現在地にあったようです。碑の正面中央には、胎蔵界大日如来を表す種子アーンクと「湯殿山」の
文字が彫られています。そして、向かって右側に阿弥陀如来を表す種子キリークと「月山」の文字
を、左側には観世音菩薩を表す種子サと「羽黒山」の文字をそれぞれ配しています。また、左下に
は揮毫者(きごうしゃ)と思われる「空居」の号が刻まれています。出羽三山を崇拝し祀る習慣の
定着が、こうした、石碑の建立につながったと分かります。一方、裏面には、日付とともに建立
に関係した人々七十九名の名前が、居住地ごとに刻まれています。中には判読困難な文字もあり
ますが、浅草、大畑村、請地村、寺嶋村、寺嶋村新田、須崎村、小梅村、中之郷村の人々の名前
を確認することができます。江戸時代後期に隅田川をはさむ向島・本所北部と浅草方面に出羽三
山信仰が普及し、そこに暮らした人々が信仰を共有していたことがうかがえます。現在区内で
は、出羽三山信仰に関係する資料の発見例が少ないため、本碑は貴重な資料といえます。
平成二十五年三月
  墨田区教育委員会
 





根府川石(輝石安山岩)の正面に、松尾芭蕉が詠んだ蒲鉾彫りで刻まれています。
  
   

芭 蕉 雪 見 の 句 碑
所 在 墨田区向島五丁目四番四号  長命寺内
芭蕉の句碑は、全国で千五百余を数えるといわれますが、その中で
「いざさらば雪見にころぶ所まで」
と刻まれたこの雪見の句碑は、最もすぐれた一つといわれています。松尾芭蕉の門人祗空は
この地に庵をつくり、その後、祗空の門人自在庵祗徳は、庵室に芭蕉像を安置し、芭蕉堂としました。
そして、三世自在庵祗徳が安政五年(一八五八)に庵を再興し、この句碑を建立したのです。芭蕉は
寛永二十一年(一六四四)伊賀上野に生まれ、のちに江戸深川六間堀に芭蕉庵を構え、談林派から出て
俳諧の境地を高め、「さび」、「しおり」、「かるみ」に代表される蕉風を不動の地位にしました。
元禄七年(一六九四)旅先の大阪で没しましたが、其角など数多くの門弟を輩出しています。
  平成十八年八月
                  墨田区教育委員会
 





 

風のように踊り
  花のように恋し
 水のように流れる
   木の実ナナ





 

五狂歌師の狂歌碑
九 十 九 翁 長 者 園

『千代迄も爰に 隅田の長命寺 九十九までで落葉かくとは 』

太田蜀山人 狂歌
『どのやふ那 なん題目を かけ累(る)とも よむは妙法連歌狂哥師』

十返舎一九辞世の狂歌
『此世をは ど里やお暇(いとま)に せん古うの 煙りと供に 者(は)ひ左様南ら 』

七十五翁雪廼屋富士丸辞世
『寝て於起(おき)て 呑喰ひの業 世苦能娑婆(よくのしゃば) けふは極楽 南無阿弥陀仏 』

八十三翁天露道人
『朝霞引出す牛の御前はへ もふ草も芽を佐ますた堤 』





 
梅陰先生大黒君碑
大黒屋光大夫の子供である梅陰の碑は
嘉永5年(1852)に妹の良吟比丘尼と門弟がたてた
もので、文は安井息軒によるものだそうです。
         
南無阿弥陀仏碑(左側)  
右側→鏑木渓庵之碑)
真ん中→筆塚







現在庵露心の辞世句碑
          
初代鶴澤清六之塚 (〔区指登録文化財〕)
( 文楽義太夫節三味線方の名跡 )







右側→守川周重(もりかわちかしげ)の辞世句碑
明治時代の浮世絵師
左側→庚申地蔵尊(こうしんじぞう)
〔区指定民俗文化財〕 万治二年(1659)建立。

           
右側→江戸桜の碑
左側→孕山堂江雨燈影の碑







 

         
我 興 乃 蘇 鉄 の 碑





長命寺所蔵の文化財

遠湖先生墓碑    奥田昌屏記念の碑    勝川春英翁略伝の碑    帰有伊東氏筆塚 
九十三翁田夫の句碑   月双庵笑魚の句碑    好酒院杓盃猩々居士辞世句碑   好色院道楽宝梅居士の辞世句碑 
三代目橋市の碑    樹月の句碑    退鋒郎毛君疼髪塚銘并序の碑   橘守部・橘冬照墓(墨田区登録史跡)
橘東世の歌碑    丹頂斎一声の句碑    長命水石文の碑    疼雲山居士故帋碑  
鼠取養犬六助塚     藤田呉江先生之碑    密教正道応上綱遺詞の碑     山村一蔵先生碑 






牛御前宮 長命寺  隅田川東岸   (東京名所図絵)
  著者:中野了随   出版者:小川尚栄堂  出版年月日:明23.2
 
         






   
    弘  福  寺  (黄檗宗 牛頭山)
京都府宇治市にある日本三禅宗の一つ黄檗宗に属する
寺院、黄檗山萬福寺の末寺で、黄檗宗第二代住職木庵
禅師の弟子鐵牛禅師が、葛飾郡須田村香盛島という
僻村(へきそん)にあった香積山弘福寺の堂宇(どうう)
を延宝元年(1673)に村の有力者たちの計らいで、黄
檗宗の寺として葛西一族の城址に寺領を移すと共に、
牛頭山弘福寺と改称されました。

住 所 / 向島5丁目3番2号  電 話 / 03-3622-4889   





     弘 福 寺
Kofukuji Temple
(Sumidagawa-shichifukujin)
境内には「咳の爺婆尊」があります。作者の風外
和尚の名にちなみ「風外は風の外。だから風邪に
効く」ということから、咳や口中の病に効くと、
信仰されています。また、隅田川七福神の布袋尊
が祀られています。

Kofukuji Temple is home to a famous Buddhist statue by Fugai
Osho. Based on the sculptor's last name, which by means of a pun
on the Japanese words for“wind”and“cold” (in the sense of illness)
can be taken to suggest resistance to colds, pilgrims consider the
shrine to be effective in combating coughs and oral disease. The
temple is also dedicated to Hotel (the god of contentment and
happiness), one of the seven gods of fortune associated with the
Sumida River 





         





            





         





         





墨田区で最古の梵鐘と確認されており、貞享5年(1688)6月に鋳造されました。

         







翁 媼 尊
この石像は、風外禅師(名は慧薫、寛永年間の人)が相州真鶴の山中の洞穴に於て求道して
居た折、禅師が父母に孝養を尽くせぬをいたみ、同地の岩石を以て自らが刻んだ父母の像
です。禅師は之を洞内に安置し恰も父母在すが如く日夜孝養を怠らなかったといわれてお
ります小田原城主當山開基稲葉正則公が、その石像の温容と禅師の至情に感じ、その放置
されるを憐れみ城内に移し供養していましたが、たまたま同公移封の為小田原を去るに當
り、當寺に預けて祀らしめたものです。尚、古くよりこの石像は咳の爺婆尊と称せられ、
口中に病のある者は爺に、咳を病むものは婆に祈願し、全快を得た折には煎り豆と番茶を
添えてその礼に供養するという風習が伝わって居ります。





         





        





                





         





         





         





         





                      





         






 弘福寺  江戸名所図会第四  斎藤幸雄 [等著][他] (国会図書館蔵)






経 蔵(きょうぞう)
 
争 龍 (そうりゅう)
 
 応身観音(おうじんかんのん)
       

 

上 堂 (じょうどう)
          
伏 虎(ふっこ)
         
貝中宝珠(ばいちゅうほうじ) 



絹本着色五百羅漢図(けんぽんちゃくしょくごひゃくらかんず)墨田区指定有形文化財(絵画)

                                 墨田区のホームページより
いまから355年前の延宝(えんぽう)5年(1672)春、弘福寺に新しく作られた絵画が納められました。
 本紙は、縦210センチメートル、横116センチメートルを超える大画面です。画面には、10人の羅漢
(供養されるにふさわしい悟りを開いた者)たちが細部まで極彩色で表現豊かに描かれ、50幅で
五百羅漢がそろう大規模な作品でした。ところが、この五百羅漢図は、江戸時代のうちに全て
弘福寺から流出し、護国寺(ごこくじ・文京区)の所蔵となっていました。その後、大正10年
(1921)に護国寺から20幅が売り立て(一定量の品物を一定期間に売ること。一般に競り売り
や入札による)られました。その後の経緯は分かりませんが、その一部は護国寺に戻り、現在、
30幅が確認されています。年代や経緯は不明ですが、ふるさとの弘福寺には6幅が戻っています。
今後は、残り14幅の存在が確認されることが期待されます。この度、文化財の指定に伴う調査に
よって、弘福寺と護国寺の作品36幅には同じ表装が施され、同一人物の署名・落款が押されて
いることが分かりました。この人物こそ、兆溪元明(ちょうけいげんみん)です。画僧で、弘福寺を
開いた鐵牛禅師の弟子ですが、南北朝・室町時代に活躍した画僧明兆を慕い、東福寺に残る
明兆の五百羅漢図(国重要文化財)を模してこの作品を描いたと伝わります。しかし、本作は、
単なる模写とは異なり、高度な筆技が発揮されたきわめて完成度の近世仏画の優品といえ、
本紙・表装とも制作当初の姿をほぼ留めていると考えられます。絹本着色五百羅漢図は、
黄檗文化の多様性を示す絵画作品として重要であり、江戸における黄檗文化の広がりを
見る上でも、その歴史的価値はきわめて高いといえます。 






       淡 島 寒 月 旧 居 跡
安政6年10月23日(1859年11月17日)に日本橋馬喰町
に軽焼きの名店淡島屋に生まれました。長女は教育者・
政治家の木内キヤウ、伯父は幕末の大富豪の伊藤八兵
衛。元禄の作家井原西鶴を再評価し、幸田露伴や尾崎
紅葉など文壇に紹介したエピソードで有名である。
収集家としても有名であり住居の梵雲庵には3000あまり
の玩具と江戸文化の貴重な資料があったが、1923年9月
1日、関東大震災により、梵雲庵全焼、収集物を全て失う。
住 所 / 向島5-3-2
 





         







A multi-talented author and artist
Residence of Awashima Kangetsu

淡 島 寒 月 旧 居 跡
父の淡島椿岳は江戸時代に大流行した軽焼きせんべいの名店「淡島屋」を経営する
実業家で大地主であった。また、知識欲が旺盛で、画を学び、ピアノを買って演奏会
を開く趣味人でもあった。明治17(1884)年、向島の弘福寺境内隠居所を建てて住んだ。
息子の寒月は西鶴再評価のきっかけをつくり、趣味人として、新聞や雑誌に寄稿。実
体験をベースにした小説や江戸にまつわる話などを洒脱なタッチで著し、好評を博した。
明治26(1893)年頃、父の使っていた隠居所を梵雲庵と名づけ隠居。「梵雲庵寒月」と
号し、悠々自適な生活に入る。夏目漱石の「吾輩は猫である」に水島寒月という学者が
登場するが、モデルは寺田虎彦で、名前は寒月から採ったといわれている。収集家と
しても有名で、梵雲庵には三千余の玩具と江戸関連の貴重な資料があったが、関東
大震災ですべて焼失してしまった。



Awashima Kangetsu (1859-1926) is known for both his literature and paintings.
His father, Chingaku, was also a painter. He helped popularize the works of
Ihara Saikaku in the course of mentoring novelists Koda Rohan and Ozaki Koyo.
He is also said to have inspired Natsume Soseki’s use of the name
“Mizushima Kangetsu” in the novel I am a Cat.

安政6(1859)年10月23日(11月17日とも)~大正15(1926)年2月23日。明治の
趣味人。作家、画家でもある。父親も趣味人である画家の淡島椿岳。井原
西鶴再評価し、そのよさを幸田露伴や尾崎紅葉に説き、世に出すきっかけ
を作った。
  
山内神斧が描いた寒月のイラスト



弘福寺の「咳の爺婆尊」寒月画





               






       

 隅田川・桜 橋 へ の 坂 道
この周辺は墨田区ではNO.1の景色と言っても過言
ではありません。桜橋通りの突き当たりです。
住 所 / 向島5丁目3番






         





         





         





                    





            





         





         






       

 割 烹 美 家 古  向 島 本 店
1926-1945年建築の歴史的建造物で、関東大震災後に
建てられたようです。東京大空襲からも逃れ、
近代向島の雰囲気を伝える料亭建築である
文化庁登録有形文化財に指定されています。
住 所 / 向島5丁目3 -5  電 話 / 03-3622-3850





         





        





         





         






  
2023年9月1日封切りの「今日は、母さん」の取材に
山田洋次監督と吉永小百合さんが、めうがやさんに
訪問されました。
    江戸の誂え足袋仕立て處  向島 めうがや
「向島めうがや」は慶応3年(1867)の創業。初代・長七が
万治2年(1659)創業の「めうがや足袋総本店」(旧日本橋
区浪花町二番地)より暖簾わけを許されたのが始まりで、
元は浅草田町(現台東区浅草五丁目)に店を構えていたが
、2代目・七蔵を経て3代目・由太郎のとき現在地に移転
した。関東大震災後の帝都復興事業に伴う区画整理を契機
としての移転であった。4代目の定男を経て、現5代目の芳和
がその伝統を受け継いで今に至っています。
住 所 / 向島5-27-6  電 話 / 03-3626-1413
定 休 日/ 日曜日・祝祭日
営業時間 / 9:00~18:00





            

    



         





                    





  向島めうがやの沿革
「向島めうがや」は慶応3年(1867)の創業。
初代・長七が万治2年(1659)創業の「めうがや足袋総本店」(旧日本橋区浪花町二番地)より
暖簾わけを許されたのが始まりで、元は浅草田町(現台東区浅草五丁目)に店を構えたが、2代目・
七蔵を経て3代目・由太郎のとき現在地に移転した。関東大震災後の帝都復興事業に伴う区画
整理を契機としての移転であった。
4代目の定男を経て、現5代目の芳和がその伝統を受け継いで今に至っています。

     






  
   向 島 墨 堤 組 合
向嶋墨堤組合の成り立ちは高級な料理と待合い処を兼ねた
「料亭」(言問料理組合と向島料亭組合が合併)と芸妓
を料亭へ派遣したり後継者育成や芸事を磨く指導など行う
「置屋」が合併、花街全般の総合的な情報管理を行ってい
ます。伝統文化邦楽全般、三味線、笛、太鼓、鼓、唄、
踊、作法、等の指導、育成に力を注いでおります。

住 所 / 向島2-9-9  電 話 / 03-3623-6368  



牛嶋神社祭礼
令和5年9月17日

          





         





         





         





       

向 嶋 墨 堤 組 合
江戸中期になると社会も安定し、連歌や俳諧などの会席が料理茶屋で開かれるようになった。
こうした宴の席に華を添えるため、踊りや唄で客をもなす芸妓が現れ、花柳界が誕生。以降、
幕末まで大いに栄えた。しかし、明治に入ると、急速な近代化の中でこうした「江戸情緒」
は徐々に失われていく。伝統や文化の損失を惜しむ多くの文化人は、風光明媚な向島に居を移し、
新たな文学や芸術を創造し、花街もかつての賑わいを取り戻していった。 粋な空間で楽しむ
『お座敷遊び』は、文人墨客に愛され、やがて一般の人にも波及していった。向島には、今
なお料亭のお座敷と芸妓、舞や唄などの伝統芸能が脈々と継承されており、一種独特の文化圏
が保たれている。 向嶋墨堤組合は、置屋、芸妓衆など花街の統括管理が主な業務で、平成24年
3月現在、16軒の料亭が加盟し、100名を越える芸妓衆が登録している。規模は都内随一で、
作法、所作に始まり、お座敷でのおもてなしの心を身につけるために、西川流や猿若流などの
日本舞踊の他、鳴物、清元、長唄、常磐津、笛を専属の師匠について修練している。


Mukojima managed to resist the wave of modernization
that swept Japan in the Meiji era, and retains the spirit of
old Edo to this day.The Mukoujima Bokutei Cooperative
works to preserve the historical district, schooling geigi-
performing artists in the traditional arts and overseeing
traditional restaurants.

     
 
 
      

      






 〔江戸高名会亭尽〕 向島   著 者:広 重
大七(向島) 鯉などの川魚料理で有名な店。
浴場があり、貸し浴衣のサービスがあった。
            
〔江戸高名会亭尽〕 向島之図
平岩(向島) 鯉料理で知られる店。






      向島料亭街( 花街 )
Mukoujima Restaurant District
(Geisya Entertainment District)
江戸文化が花開いた時代の風情が薫り、和の空間に粋と寂の
趣を控えめにしつらえた佇まいの「 向島料亭街 」。季節を
食彩ともに愛でる料理、舞や邦楽など日本の伝統芸能で
「もてなしの心」を伝えます。
In the Mukojima Hanamachi, the atmosphere of the blooming
Edo culture still remains and quietly presents Japan’s aesthetic
values of Iki (stylishness) and Sabi (antique look), You will receive
Japanese hospitality through their dishes that make you enjoy
The beauty of the seasons and traditional entertainment of
dancing and music. 





料亭 千 代 田 (ちよだ)
住 所 / 向島5-20-13   定 休 日 土・日・祝祭日
電 話 / 03-3622-1755   営業時間  / 午後6時~午後11時30分


         





料亭 櫻 茶 や (さくらちゃや)
    住 所 / 向島5-24-10  定 休 日 / 日・祝日
電 話 / 03-3622-2800  営業時間 /
はとバスで一人でも参加できる和のもてなし 向島老舗料亭「櫻茶ヤ」
コース番号R2203旅行代金 (大人1名)10,980円があります。

         





料亭 波 む ら (なみむら)
住 所 / 向島2-15-8   定 休 日 / 日・祝日
       電 話 / 03-3626-1641   営業時間 / 午後5時~午後11時


         





         





料亭 月  笛 (つきぶえ)
住 所 / 向島5-29-9   定 休 日 / 日・祭日
       電 話 / 03-3621-4404   営業時間 / 午後6時~午後12時


         





料亭 道 成 寺(どうじょうじ)
住 所 / 向島5-32-1   定 休 日 / 日・祝日
電 話 / 03-3621-1243


         





料亭 千   穂 (せんすい)
住 所 / 向島2-9-3   定 休 日 / 日・祝祭日 
電 話 / 03-5819-0334   営業時間 / 午後6時~午後12時


            





         






料亭 ふ 多 葉 (ふたば)
住 所 / 向島5-24-3   定 休 日 / 日・祭日 
電 話 / 03-3624-7010   営業時間 / 午後5時~午後11時


         





         






料亭 す み 多 (すみだ)
住 所 / 向島2-15-13   定 休 日 / 日曜・祝 日 
電 話 / 03-3622-5234   営業時間 / 午後6時~午後12時


         





料亭 入  舟 (いりふね)
住 所 / 向島5-28-5 定 休 日 / 日・祭日 
電 話 / 03-3622-6233 営業時間 / 午後6時~午後12時


           





         





料亭入舟 姉妹店 美なと 
住 所 / 向島5-22-5  定 休 日 / 日・祭日 
電 話 / 03-3622-3399  営業時間 / 午後6時~午後12時


           






料亭 き よ し
住 所 / 向島5-35-3   電 話 /0 3-3622-0224
定 休 日 / 日曜・祝祭日(土曜のみ予約可) 
営業時間 / 午後17時~


           





           






       菓 匠 青 柳 正 家
和 菓 子 の 老 舗
昭和23年に向島で「青柳」として創業。博覧会に於いて
青柳のお菓子に満足された元公爵従二位勲二等三条
元公爵が「正家」の2文字を命名され、看板に筆で書いて
下さり、昭和28年から「青柳正家」になりました。
菊花御紋章は、宮内庁御用達であった為だそうです。
住 所/向島2-15-9 電 話/03-3622-0028
定 休 日/土・日曜・祝日 営業時間/9:00~19:00 





         





         





         






座プトンに腰掛て頂く和菓子
には癒されます。
         


         







 
          
どこから切っても栗だらけ  

お店からの一言
昭和24年の第1回全国銘菓奉献結成式典において、当店の味に大変満足されたのを機縁に、一條実孝公
によって命名されたものです。その格式高い「正家」の名を賜った昔から現在まで変わらず、最上級
の材料を吟味し、心を込めた手作りにて「すべてのお客様に満足いただける商品」をと努めております。
和菓子の心「春夏秋冬」の季節感をお届けできるよう、ひとつひとつ大事にお作りしております。






           すみだ郷土文化資料館
隅田川を中心とした墨田区の歴史・伝統文化
を紹介し、その遺産を継承していくことを目的
としたふるさと博物館。

住 所 / 向島2-3-5   電 話 / 03-5619-7034






       すみだ郷土文化資料館
Sumida Heritage Museum
隅田川を中心とした墨田区の歴史・伝統文化を紹介し、その遺産
を継承していくことを目的とした「ふるさと博物館」。保存資料
はもとより、模型やマルチメディアなどを駆使しさまざまな趣向
をこらして紹介されています。
This hometown museum was established tointroduce
Visitors to the history and traditional culture of Sumida
Ward with a focus on the Sumida River, thereby helping
ensure that the area’s rich legacy will be passed on
to future generations. Visitors can enjoy range of
preserved historic materials as well as elaborate exhibits
including models and multimedia displays. 





           





           





              





             





            





         





         











葛 飾 北 斎 案 内 板
(カッコ内は墨田区循環バス停留所名)

 隅田川関屋の里  ━富嶽三十六景━
( 榎本武揚像入口 )
スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート3

     




      





 梅若の秋月   ━ 風 流 隅 田 川 八 景 ━ 
( 隅田川神社 ・ 木母寺入口 )スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート3


      




     





雪 月 花  隅  田
( 隅田川神社 ・ 木母寺入口 )
 スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート3

     




       





寺 島 法 泉 寺 詣
( 法泉寺入口 ) 
 スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート4 

      





        





白髭の(きじ)松 今戸の夕烟 ━絵本隅田川両岸一覧━
( 地 蔵 坂) 
 スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート4

     




        





 須佐之男命厄神退治之図
(見番通り入口・桜橋東詰/隅田川周辺)スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート7


     




       





 新板浮絵 三囲牛御前両社之図
(見番通り入口・桜橋東詰/隅田川周辺) スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート7


     




         





 大川橋の月 小梅の泊松 ( 船 )  絵本隅田川両岸一覧
( 見番通り入口〈桜橋東詰〉牛嶋神社周辺 )
  スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート8 

    




        





御厩川岸より両国橋夕陽見━富嶽三十六景━
( 刀剣博物館(旧安田庭園・同愛記念病院 ) 
 スカイ姫のつぶやき街角南部ルート2

  




        





 首尾松の鉤舟 椎の木の夕蝉 ー絵本隅田川両岸一覧━
( 刀剣博物館(旧安田庭園・同愛記念病院)  
スカイ姫のつぶやき街角南部ルート2 

  




     





 駒 止 石 ━馬 尽━
( 国技館・水上バス乗り場 )
  スカイ姫のつぶやき街角南部ルート2

    




       





 新柳橋の白雨御竹蔵の虹ー絵本隅田川両岸一覧━
( 国技館・水上バス乗り場 )スカイ姫のつぶやき街角南部ルート2
 

    




      





 両国納涼一の橋弁天ー絵本隅田川両岸一覧━
( 両 国 駅 西 口 )
スカイ姫のつぶやき街角南部ルート3

    




        






宮戸川長縄 ━ 千絵の海 ━
( 江島杉山神社) 
  スカイ姫のつぶやき街角南部ルート4

      




     





新板浮絵忠臣蔵 第十一段目
( 勝海舟生誕の地・吉良邸跡入口 ) 
 つスカイ姫のぶやき街角南部ルート5

    









 本所立川  ━富嶽三十六景━
( 勝海舟生誕の地・吉良邸跡入口 ) 
  スカイ姫のつぶやき街角南部ルート5

  




    






       佐 多 稲 子 旧 居 跡
明治37年6月1日、長崎県長崎市に生まれました。
大正4年、向島小梅町(現・墨田区向島)に住む叔父
佐田秀実を頼り、一家で上京しました。雑誌「プロ
レタリア芸術」に『キャラメル工場から』を発表。
プロレタリア文学の新しい作家として認められる。
戦後は、婦人民主クラブの創立に奔走、民主化
運動に貢献した。

住 所 / 向島2-3-5の突き当たりのようです。
 





          





 

A leading figure in women's proletarian literature
Residence of Sata Ineko
佐 多 稲 子 旧 居 跡
小学生の頃から利発な文学少女であったが、11歳の時に、結核で亡くなった母の治療費や父の
放蕩などで家計はひっ迫。叔父を頼って、父、祖母と共に長崎から上京、向島小梅町52番地
(現在、隅田公園内)の家に身を寄せることになる。牛嶋尋常小学校5年に転入したものの、家計
を助けるために、キャラメル工場で働かなければならず、結局、小学校は5年で中退してしまった。
その後、料亭、工場、書店などで働きながら、小説や短歌を投稿。これらの経験が、後に
『キャラメル工場から』という作品にまとめられ、出世作となった。戦後、すぐに書かれた自叙伝
ともいえる『私の東京地図』には、長く暮らした向島周辺のことが書かれている。「私の地図の、
江戸案内の版画的風景には、三囲神社も書かれている。いつもひっそりとしていた神社だ。淀んだどぶ
池のそばに、閉めたままの障子の白さを見せていたのは其角の家だ、と子ども心にも知っていた」

Sata Ineko (1904-1998) launched her career with
the novella From the Caramel Factory, and soon became
part of the new wave of proletarian literature. After WWⅡ
she strove to establish the Women’s Democratic Club,
contributing significantly to the democratization
movement in Japan.



 牛嶋尋常小学校 (大正5年頃)


 通勤で渡った、大正時代の吾妻橋
    
曳舟川(昭和28年頃)
大正時代にこの川
沿いの向島へ引越
した。
   
本名:佐田イネ
明治37(1904)年6月1日~平成10
(1998)年10月12日。
『キャラメル工場から』を雑誌「プロレ
タリア芸術」に発表。プロレタリア文学
の新しい作家として認められる。戦後は
、婦人民主クラブの創立に奔走、民主化
運動に貢献した。作品は映画やテレビ
ドラマになったものもある。
昭和59(1984)年に朝日賞受賞






         三  囲  神  社
三囲神社の創建年代は不詳ですが、文和年間
(1353-1355)近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の
際に社を改築したといわれています

住 所 / 向島2丁目5番17号
電 話 / 03-3622-2672
 





              





         





         





       三 囲 神 社
Mimeguri-jinjya Shrine
(Sumidagawa-shichifukujin)
元禄6年(1693)江戸かんばつの折、俳人・
室井其角が句を詠み奉納すると、翌日大雨が
降ったと伝えられています。境内には、「雨乞いの
句碑」があります。また、隅田川七福神の恵比寿・
大国神が祀られています。

Haiku poet Takarai Kikaku is said to have dedicated a
reading of his poem here as an offering during the
Edo drought of 1693, triggering a great rain the
following day. The shrine's precincts include a haiku-
inscribed ststue memorialzing this event. The shrine
is dedicated to Daikokuten (the god of wealth,
farmers, agriculture, rice and the kitchen) and Ebisu
(the god of fishermen, good luck, and workingmen),
two of the seven gods of fortune associated with the
Sumida-gawa River.



 三囲神社案内板  日比翁助石垣の歌碑  〇最古の紀年銘  〇三囲のライオン像  

宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)  〇江戸後期を代表する
浮世絵師・歌川国芳顕彰碑

隅田川七福神コース案内板   俳人富田木歩句碑      宗因白露の句碑





三 囲 神 社 案 内 板




Home to the guardian deity of Mitsui family
Mimeguri Shrine
三 囲 神 社

弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。当時は、現在地より北の田んぼの中にあった。
文和年間 (1352~56) に近江の三井寺の僧である源慶が社を改築した折、土中から白狐にまたがる
老翁の像を発見。その像の周りをどこからともなく現れた白狐が、三度回って消えたという
縁起から「三囲」の名がつけられた。三井家は江戸進出時に、その名にあやかって、守護神とし、
平成21(2009)年に旧三越池袋店からシンボルだった青銅製のライオン像が境内に移設された。
照りが続いていた元禄6 (1693) 年、俳人室井一角が能因法師や小野小町の故事に倣い、
「ゆたか」を頭字に詠み込んだ
「ゆふだちや田を見めぐりの 神ならば」
の句を献じたところ、翌日には雨が降り評判になったという話が伝わっている。


This shrine was choosen by the great merchant family Mitsui when they started operating in Tokyo
.“Mimeguri” means “ three times around”.It derives from a1300s legend about a priest Genkei in West
Japan who witnessed a magical white fox running around a recently unearthed sculpture of an old
man mounted on a white fox three times, and then disappearing



              

明治時代の「三囲神社」
「東京名所図会隅田堤之部」 三囲神社大祭の図
 






          





日 比 翁 助 石 垣 の 歌 碑

         







日 比 翁 助 石 垣 の 歌 碑 
いしがきの 小石大石持合ひて 御代は
ゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勳
日比翁助は号を美勳と称し 三越呉服店の
会長 わが国 近代的百貨店の創始者であった 
茲来百年 松を新たに植え 旧観を復した  





         





最古の紀年銘

        

最古の紀年銘
藤堂高睦(伊賀上野城主)が宝永3年(1707)に奉納した当神社で最も古い年代を示す石造物





 

墨田区登録文化財
 宝井其角「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)

所 在 墨田区向島二丁目五番十七号  三囲神社内

 元禄六年(一六九三)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社
に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人其角が、このあり
さまをみて、能因法師などの雨乞の故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだの
です。この話は其角自撰句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速
効果があったと伝えられています。其角は寛文元年(一六六一)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井
と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、とくに洒落風の句を得意としました。この碑は安永六年
(一七七七)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(一八七三)に再建されたものです。
                    平成十八年(二00六)12月 墨田区教育委員会





三囲のライオン像

     

三囲のライオン像
三越の旧池袋店から移した 三越のシンボルであるライオン像は大正3年 当時の三越呉服店を率いた
日比翁助がライオンを大いに好み 三越本店に 一対のライオン像を据えたのにはじまる 戦後
本店の像をもとに各支店に設置されている ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の
有名なネルソン像をかこむライオンである なお「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の
画期的な商売の仕方は 大いに発展し 明治29年三越呉服店につながる
 





    

(右) ○越は三越の商標。客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ、○越の範形といわれる。
明治29年から昭和の初期まで実際につかわれていた。

(左) ライオンは東洋的意匠の狛犬に変化したのだが、三越のライオン像も狛犬のように
神前を守っている。





 

宗 因 白 露 の 句 碑
   所 在 墨田区向島二丁目五番十七号  三囲神社内

 「白露や無分別なる置きどころと刻まれています。」
文化九年(一八一二)西山宗因の流れをくむ素外らが発起人となり、始祖宗因の作品中でもっとも
すぐれたこの句を選んで建立したものです。宗因は慶長一〇年(一六〇五)肥後(現熊本県)に生ま
れた江戸時代初期の著名な連歌師、俳人です。連歌では主に宗因、俳諧では一幽、西翁、梅翁な
どと称しました。のちに大阪天満宮の連歌所宗匠の職につき、連歌界の重鎮として知られました
俳諧を始めたのは晩年に近く、あくまで余技としてした。詠みぶりは軽妙洒脱、急速に俳壇の
人気を集め、談林俳諧勃興(ぼっこう)の起因となった人で、芭蕉は「此道中興
(このみちちゅうこう)
開山なり」と記しています。
                 平成十八年十二月





        

〈墨田区指定文化財〉
一勇斎歌川先生墓表(歌川国芳顕彰碑)

           所在地 墨田区向島二丁目五番十七号 三囲神社
 一勇斎(いちゆうさい)歌川先生とは、幕末を代表する浮世絵師歌川国芳のことです。国芳は、
寛政九年(一七九七)に日本橋で生まれました。十五歳で初代歌川豊国の門人となり、文政
十年(一八二七)頃「通俗水滸伝豪傑百八人一個(ひとり)」の連作を契機に人気を博し、浮
世絵のあらゆる分野で高い水準の作品を残しました。この碑は、文久元年(一八六一)に没
した国芳の十三回忌にあたる明治六年(一八七三)に建立されました。撰文は学者の東條琴
台、篆額と書は萩原秋巌、碑刻は宮亀年受け持ちました。碑文には国芳の出自や経歴、建碑
の経緯などが刻まれています。裏面には、建立者である弟子たちの名が刻まれており、その中
には明治時代の浮世絵を代表する月岡芳年や新聞錦絵の落合芳幾、おもちゃ絵の歌川芳藤
などがみられます。芳年の画系は水野年方から鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎と近代日本
画の流れとして続きました。国芳は向島に居住した時期もあり、この碑は墨田区の浮世絵に
関わる豊かな歴史を示す貴重な文化財といえます。
                           平成二十四年一月
                               墨田区教育委員会

Th career and The monument of Utagawa Kuniyoshi
The carved out letter “Master 1chiyusai Kuniyoshi” in the framed tablet indicates Utagawa
Kuniyoshi, a dominant ukiyoe-artist at the end of Edo period.He was born in Nihonbashi in
1797 and at the age of 15,he became a disciple of Utagawa Toyokuni 1. Not only beginning a
massive boom in Musha-e, warrior prints he also produced high-level prints in all motifs of
ukiyo-e.In 1873, this monument was erected for Kuniyoshi who died in 1861 by the disciples
who worshipped him. The text was formulated Tojo Kindai the scholar, the calligrapher was
Hagiwara Shugan and the carver was Miya Kinen. The text includes Kuniyoshi’s birth, career
and the how and why of this monuments erection. The erecter’s name s were carved on the
back side of the monument. Includes T sukioka Yoshitoshi, a dominat ukiyo-e artist in the
Meiji era. Ochiai Yoshiiku who was famous for Shinbun nishi newspaper printed by woodcut
in the Meiji era and Utagawa Yoshifuji who was well-known as a toy prints artist. The
Yoshitoshi lineage tree is inherited as modern Japanese paa\inting by Mizuno Toshikata to
Kaburaki Kiyokata , Ito Shinsui, and Iwata Sentaro. Kuniyoshi once lived in Mukojima and
so this monument can be a precious cultural treasure whichi provides enriched history
related Ukiyo-e in Sumidacity.
 





隅田川七福神コース案内板

          

隅田川七福神コース案内板
SUMIDAGAWA SHICHIFUKUJIN COURSE INFORMATION
三圍神社 大國神 恵比寿神

 三圍神社の別殿には、古くから大國(だいこく)、恵比寿(えびす)二神の神像が奉安されている。
もとは三井の越後屋(今の三越)にまつられていたものである。江戸時代の終り頃、町人層
の好みが世間のさまざまな分野で表面に現れ、多くの人びとによって支持された時代の流れ
の中で、隅田川七福神が創始されたとき、当社の二神もその中に組み込まれたのであった。
 大國神は慈悲円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神と
して、庶民の信仰を集め、その似かよった御神徳から一対の神として崇められることが多い。
大國を同じ音の大黒(だいこく)とも書く。






      

富 田 木 歩 句 碑 

夢に見れば死もなつかしや冬木風 木歩

(裏面)
 大正拾参年九月一日の一周年に於て 富田木歩君慰霊の為建之 
友人一同 
亜浪書
 





境内の石碑について詳しく書かれています。
社務所で頒布して下さいます。


                





         





         





         





隅田川東岸 三囲稲荷社錦絵集


絵本江戸土産第八編 三囲稲荷 堤より見る図






銀世界東十二景・隅田川両川岸一目の月
絵師:広重(初代)
         
三囲の図  絵師:絵師不詳
  






タイトル:東都名所八景之内 隅田川落雁 
著者:芳虎 出版者:山田屋 出版年月日:安政1
収載資料名:都名所八景之内
          
タイトル:江戸八景 隅田川の落雁 
著者:渓斎英泉 出版者:山本 
収載資料名:江戸八景






江戸高名会亭尽 三囲之景
絵師:広重(初代)
          
隅田川雪見 絵師:一猛斎芳虎 出版者:美の
刊行年:[天保-弘化頃] 収載資料名:江戸風俗東錦絵
 








隅田堤三囲の景樅の古木   絵師:五風亭貞虎   
         
 三囲の夜雪  絵師:五渡亭国貞






タイトル:隅田川三囲り堤 
著者:広重 出版者:相ト
出版年月日:文久2
収載資料名:東都三十六景
           
タイトル:暮雪 (三囲) 
著者:長喜
収載資料名:江戸名所八景

           
タイトル:三廻 
著者:豊国
出版者:佐野喜
収載資料名:東都名所合






          鬼 平 情 景
      三  囲  神  社

鬼平特別長編「迷路」で、玉村の弥吉が妙法寺の
九十郎と出会い、盗みに誘われる舞台となっています。
三囲神社の当時のたたずまいが描かれています。
住 所 / 向島2丁目5番17号  





         





         

鬼 平 情 景
三 囲 神 社 (三囲稲荷社)

三井家 (越後屋) が江戸進出時に三囲の名にあやかって守護神としました。港区にあった
三井八郎右衛門邸が小金井市の江戸東京たてもの園に移築される際には、屋敷神であった顕命霊社、
三角鳥居、家紋の入った水鉢などが奉納された。鬼平犯科帳にも数回、登場しますが、特別長編
「迷路」の「妙法寺の九十郎」には、三囲稲荷社は、大川の堤の道を一段下った鳥居から田圃の
中を松並木の参道が東に伸びた先にあり、境内は広くはないが、美しい木立と竹林に囲まれ、
本社は立派なものであると、当時のたたずまいが描かれています。












     
向 島 歴 史 散 策 案 内

Map of Historical Walking Routes around Mukojima
今もなお都会の喧騒さを忘れさせてくれる向島の界隈。
忘れ去られていく明治、大正、昭和に思いを馳せ、
まち歩きの達人、永井荷風に倣い、多くの文人が愛し、
暮らした街を静かに散策されてはいかがでしょうか 

住 所 / 向島2丁目5番17号  (三囲神社前の歩道に設置)





         

















 
いにしえの“すみだ”
平安時代初期に整備された官道は、現在の隅田川神社辺りとされる隅田の渡を経て、
武蔵の国府(現在の東京都符中市)と下総の国府(現在の千葉県古川市)をつないでいた。
「伊勢物語」の主人公が 〈名にし負はば いざこととわむ都鳥 わが思ふ人は在りやなしや〉
と詠んだ場所は、この隅田ノ渡だったのではないかと思われる。
 


























 
谷文晁の弟子、喜多武清(1776~1856)が描い
たと伝えられる、木版画「隅田川七福遊び
 宝舟」。江戸時代、初夢を見るために、
幸運を呼ぶ宝舟の絵を枕の下に敷くことが
はやった。版画内の舟は、当時の隅田川周
辺の農耕地帯で多く見られた田舟
    The Seven Deities of Good Fortune Pilgrimage
正月元旦から7日までの松の内に七福神を祀る寺社を訪ね歩
いて 開運を祈る七福神めぐりは、19世紀初頭頃から江戸で
盛んに行 われるようになった。向島の隅田川七福神めぐり
は谷中に次いで古く、行程が約1里(約4キロメートル)と適度
で、墨堤沿いの 史跡を訪ねながらたどれる初春の行楽とし
て好まれた。隅田川七福神めぐりは、向島百花園に集う文化
人達が創案した。主の佐原鞠塢が所持していた福禄寿の陶像
から話が広がり、近隣の寺社から七福神を選定したという。
このとき、寿老人だけが揃わなかったが、白鬚明神はおそら
く白鬚のご老体であろうということになり、寿老人にあてら
れた。そのため、隅田川七福神 では寿老人を「寿老神」
と置き替えている。 









「梅若権現御縁起」全三巻。
江戸前期の制作と考えられる。
(木母寺所蔵)



木母寺境内の一角。
左側が梅若塚。ガラス張りの
鞘堂に念仏〇が収まっている
 
       Walking Routes for the Umewaka Legend

梅若伝説は古くから隅田川ゆかりの悲話として知られ、
浄瑠璃や歌舞伎などの題材とされてきた。
梅若伝説の時は平安の半ば。京都北白川の吉田少将惟房
の子、梅若丸が、人買いに連れ去られてしまう。しかし奥州
への途次で梅若丸は病となり、貞元元(976)年3月15日、
隅田川のほとりで12歳の生涯を閉じる。死に際して残した
一首が「たつね来て とわばこたえよ都鳥 
すみだ河原の 露と消えぬと」。
里人たちは、村に来ていた名僧忠圓阿闍梨に頼み、梅若丸
を手厚く葬った。1年後、息子を探し歩く母の花御前が、
通りかかり、息子の死を知る。念仏を唱える母の前に
梅若丸が立ち現れ、親子はつかの間の再会を果たすが、
母の悲嘆は深く、やがて池に身を投じてしまう。
忠圓阿闍梨は塚の脇に堂を建て、二人を供養する。
これが梅若寺で、今日の木母寺となる。  








荷風自身が撮影したといわ
れる玉ノ井。(昭和10年代)



荷風が撮影したと
いわれる戦前の玉ノ井駅。
 
    Tamanoi Area beloved by novelist Nagai Kafu

永井荷風は裕福な家庭に育ったが、学業より芸術や文学への
好奇心の方が高く、心配した父親は実業で身を立たせようと、
海外遊学を勧め、24歳の時、アメリカとフランスへ渡った。6年
に亘る海外生活を終え、敬慕する森鴎外の推薦によって慶應義
塾大学の教授に就任する。しかし、内紛から6年で手を引いて
しまう。その後は作家活動に専念し、多くの作品を発表して
いる。墨田との縁は帰国直後に書き始めた「隅田川」が嚆矢で、
「百花園」「向島」「寺じまの記」「日和下駄」などの舞台
となっている。代表作は昭和12年4月から2ヶ月間、朝日新聞
夕刊に連載された「墨東綺譚」である。玉ノ井の名が全国に
知られるところとなった 。木村荘八の味のある挿絵もまた
好評を博した。

 






       言 問 橋 案 内 板
橋の名は、伊勢物語の中心人物、在原業平の詠んだ
「名にしおはば いざ言問はん都鳥我が想う人は あり
やなしやと」から名づけられた「言問団子」に因ると
言われている
。墨田区内では両国、蔵前、厩、駒形、吾
妻の五橋とともに関東大震災の復興橋梁として工事が進
められ、完成に伴い橋の上流にあった向島三囲神社と浅
草待乳山聖天をつなぐ「竹屋の渡し」が廃止されている。

住 所 / 向島2丁目2





         





         





   

Kototoi Bridge
言  問  橋
 橋の名は、伊勢物語の中心人物、在原業平の詠んだ
「名にしおはば いざ言問はん都鳥 我が想う人は ありやなしやと」
から名づけられた「言問団子」に因ると言われている。
 架橋は昭和3(1928)年、墨田区内では両国、蔵前、厩、駒形、吾妻の五橋とともに
関東大震災の復興橋梁として工事が進められ、完成に伴い橋の上流にあった向島三囲神社と
浅草待乳山聖天をつなぐ「竹屋の渡し」が廃止されている。当初は両国橋とともに巨大な鋼
ゲルバー桁橋として偉容を誇ったが、近年は200メートルを超す大橋が多く目立たなくなった。
とはいえ当時の新進気鋭の技士たちが最先端の技術を駆使して設計施工しただけに文化的価値が
高く、平成20(2008)年に両国橋とともに東京都選定歴史的建造物になっている。昭和20(1945)
年3月10日の大空襲では、両岸から避難民が押し寄せ、多くの犠牲者が出た。平成4(1992)年から
実施された改修工事で欄干と縁石が取り外され、その一部が江戸東京博物館の屋外通路に
保存展示されている。

The name of this bridge is said to have been inspired by the local delicacy Kototoi dumplings,
which in turn were named from a line of poetry written by Ariwara no Narihira a key character
in the Tales of 1se. The bridge was completed in 1928 as part of the rebuilding project after the
Great Kanto Earthquake, in 2008, it receivedspecial designation from the Tokyo
Metropolitan Goverment
 





言 問 橋
言問橋は大正12年に起きた関東大震災の復興計画の一環として
昭和3年に開通しました。それに伴い 上流には「竹屋の渡し」、
下流には「山の宿の渡し」がありましたが、橋の開通に伴い、
2つの渡しは役目をおえました。



こんにちは、母さんの映画のワンシーンに言問橋が映り、墨田区側と台東区側から
被災者が言問い橋に押し寄せ鮨詰め状態となり、そこに焼夷弾と火炎旋風が襲い多くの
人々が亡くなったという内容のセリフが印象的でした。


         





         
言問橋、浅草方面に向かって右側の坂道にありました。





             





        





         

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        見番通り入口(桜橋東詰) 見番通り周辺

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すずめの御宿別館

         





         






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