スカイ姫のつぶやき街角・南部ルート7
     
墨田区役所(勝海舟像入口)バス停~春慶寺<東京スカイツリータウン前>バス停


     葛飾北斎案内板一覧表  鬼平犯科帳(〇吾妻橋(大川橋) 〇如意輪寺)案内板  〇浩養園跡
〇ちいさな硝子の本の博物館  〇墨 田 区 役 所 〇墨田区役所小さな散歩道
  〇キボン!
リバーサイド カフェ エ バー 〇ギャラリーアビアント 〇グリーンアローボルダリング   
本 所 吾 妻 橋 駅 北    源 森 橋  〇源 森 川 水 門  〇枕 橋 
本 所 吾 妻 橋 駅 東    鬼平情景業平橋(大川橋)案内板  〇大横川親水公園  〇さ さ や カ フ ェ  南蔵院跡
    〇王 貞 治 氏・記念銘板(業平公園内)  〇役者寺とも赤門寺とも呼ばれた大雲寺跡
〇押 上 天 祖 神 社  〇小 梅 銭 座 跡  〇老 舗の足袋屋さん  〇たばこと塩 の 博 物 館
〇鬼平情景(西尾隠岐守屋敷案内板 〇
春 慶 寺案内板  〇王貞治選手母校・業平小学校
〇大 島 部 屋

                                       to top page  つぶやきいってみようへ



      



        鬼 平 情 景
吾 妻 橋 (大川橋)

安永三(1七七四)年、長谷川平蔵二十九才の時、町人から
幕府への願いが受け容れられ架橋されました。江戸時代
明和の大火後に架けられた橋で当時は大川橋と呼ばれ、
小説の中でもたびたび登場します。現在の橋は震災復興
橋梁として昭和6(1931)年に架橋されました。
住 所 / 吾妻橋1-23





          







鬼 平 情 景
吾 妻 橋 (大 川 橋)

江戸時代、両国橋、新大橋、永代橋に次いで隅田川に架けられた四番目の橋です。安永三(1七七四)年、
長谷川平蔵二十九才の時、町人からの幕府への願いが受け容れられ、架橋されました。民営のため武士
を除く利用者からと渡賃二文を徴収して維持費に充てました。長さ八十四間(約百五十メートル)、幅
三間半(約六。五メートル)あり、正式名は大川橋です。吾嬬神社への参道にあたるとして吾妻橋への
改名願いが出されましたが、それが叶ったのは明治九年(一八七六)年になってからです。鬼平犯科帳
でも数々の作品に登場します。なかでも人気の、亡父遺愛の銀煙管が鍵となる「大川の隠居」では、
平蔵を乗せた友五郎の櫓さばきも巧みな舟が、吾妻橋をくぐって大川を遡っていく名場面に出てきます。





 
吾妻橋夕涼景  国会図書館
絵師:豊国  出版者:辻岡屋  刊行年:嘉永7

         
江戸名所発句合之内 吾妻橋
絵師:国貞改豊国
出版者:上金 国会図書館
  





 
吾妻橋夕涼景  著者:豊国
出版者:辻岡屋 国会図書館
出版年月日:嘉永7 
          
吾妻橋夕涼景  著者:豊国
出版者:辻岡屋 国会図書館
出版年月日:嘉永7 
         
吾妻橋夕涼景  著者:豊国
出版者:辻岡屋 国会図書館
出版年月日:嘉永7 






名所江戸百景 吾妻橋金竜山遠望
絵師:広重 出版者:魚栄
刊行年:安政4 国会図書館
                
絵本江戸土産 10編. [1] 宮戸川吾妻橋
著者::松亭金水 解説[他]  出版者:菊屋三郎[ほか]






江戸名所図会 7巻. [19]   著者:松濤軒斎藤長秋 著[他]
出版者:須原屋茂兵衛[ほか]  出版年月日:天保5-7 [1834-1836]







    
 鬼 平 情 景  如 意 輪 寺
住 所 / 吾妻橋1-22-14   電 話 / 03-3623-4849
    






         





         





            

 鬼 平 情 景
 如 意 輪 寺
嘉祥二(八四九)年に慈覚大師が聖徳太子自作の太子像を安置したことに始まると伝わる天台宗の古刹です。
像を納めた太子堂は「牛島太子堂」、「中之郷太子堂」と呼ばれ、広く知られていました。寺域は
五六○坪あり、門前町は南と東に二カ所開かれていました。鬼平犯科帳では、「敵(かたき)」に南の
門前にある花屋が何度か登場します。その最初の下りに「大滝の五郎蔵は、まっすぐに市中を突き
切り、大川(隅田川)をわたって、本所、中ノ郷元町にある如意輪寺門前の花屋に入った。」とあります。
後に捕縛され、密偵となる大滝五郎蔵の盗人宿ですが、亭主の利兵衛が何者かに殺されてから話が
大きく転換します。






       すみだ小さな博物館
ちいさな硝子の本の博物館
墨田職人手作りガラスに好きなイラストや文字が彫れる
リューター体験ができます。
 住 所 / 吾妻橋1-19-8-1F  定休日 / 月曜・火曜日
電 話 / 03-6240-4065  開館時間 / 10:00~19:00
 





          





          






       墨  田  区  役  所
住 所 / 吾妻橋1-23-20  電 話 / 03-5608-1111
開 庁 時 間:月曜日から金曜日、午前8時30分から
午後5時まで
閉庁日:土曜日、日曜日、国民の祝日に関する法律
に規定する休日、年末年始(12月29日から1月3日)
毎週水曜日は午後7時まで区役所の一部窓口を延長
しています。毎月第2・第4日曜日は区役所の一部窓口
を開設しています。 





            





     

墨田区平和福祉都市づくり宣言
わたくしたちは 平和のうちに幸福な生活を営めるようこれまで たゆみない努力を積み重ねてきました
平和を守り より良い生活と文化を築いていくことはわたくしたち共通の願いです
「平成元年」という新しい時代の始まりにあたってわたくしたち墨田区民は 心新たに 世界の平和と
ひとびとの福祉向上の実現に 一層努力することを誓いここに平和福祉都市づくりを宣言します
      平成元年一月十一日
              墨 田 区



ヘ リ ッ ク ス
彫刻は螺旋と平面に曲線が組み合わされた2つの柱状のもので構成されており 螺旋の垂直を強調する
鋭角的な多面体は自然光を受け 見る位置と時刻により微妙に変化し限りない永遠性を現わします
この永遠性とは春・夏・秋・冬の季節の変化や 幼年・青年・壮年・老年そしてまた幼年というような人々の
永遠の世代の移り変わりという 自然のサイクルを意味しています そして彫刻全体を包んでいる思想は 
互いに性格が違う人と人とがり添い合っている和やかな姿と結びつきをシンポライズしています
                 脇田愛二郎  







ファスナーの船航行
10月30(土)~11月7日(日)
12:00~14:00 時
隅田川(吾妻橋~桜橋の間を往復)
    「隅田川 森羅万象 墨に夢」(通称:すみゆめ)とは?
What is “The Sumida River Sumi-Yume Art Project ”(popularly known as
“Sumi-Yume”)?

「すみゆめ」は、すみだ北斎美術館の開館を機に2016年にスタートしたアート
プロジェクトです。森羅万象を追い求めた葛飾北斎にならい、墨で描いた小
さな夢をみんなの手で色づけしていくように、あらゆる表現を行っている人
たちが集い、つながりながら、この地を賑やかに彩っていくことをめざし
ています。「北斎」と「隅田川」を主なテーマに、すみだの地域資源を
活用する多彩な企画を約4カ月にわたって展開していきます。まちの魅力
を見出したり、オンラインでの新たな出会いを紡いだり━「あなたに届く、
あしたにつなぐ」すみゆめのプロジェクトをお楽しみください。

“Sumi-Yume”began in 2016 on the occasion of the opening of the Sumida
Hokusai Museum. Katsushika Hokusai was an artist who pursued a universe
of phenomena. Like little ink-painted dreams colored in by people from
various walks of life, we aim to paint the Sumida area in vivid colors while
connecting people who are active not only in the arts and culture, but in all
types of expression. Over a four-month period we’ll present a wide array of
projects making use of the Sumida district’s local resources with“Hokusai”
and ”Sumida river”as principal themes. While discovering the area’s charms
and forming new connections online, the Sumi-Yume Project will make its
way “to you ,and towards the future. “Share in the excitement!””





名誉区民顕彰コーナー
〇押絵羽子板職人 西山幸一郎
〇福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長


         





         





ちばてつやさん監修 折鶴の平和のオブジェ

      





        





           





         


27万人の平和メッセージ事業について(墨田区ホームページより)
墨田区は、平成元年に「平和福祉都市づくり宣言」を行いました。
 この宣言は、関東大震災と東京大空襲の2度の大禍を経験している墨田区の過去に思いを起こしつつ、
未来にわたって国内外の平和の実現と、人々の福祉の向上の実現になお一層努力することを
誓ったものです。この趣旨の実現に向けて、東京大空襲のあった3月に毎年、平和祈念行事
「27万人の平和メッセージ」として、以下の3つの事業を実施しています。
 (※事業名の「27万人」は、墨田区の人口に由来しています。)





葛 飾 北 斎 案 内 板


 隅田川関屋の里 
━富嶽三十六景━
( 榎本武揚像入口 )
    
梅若の秋月 
━ 風 流 隅 田 川 八 景 ━ 
( 隅田川神社 ・ 木母寺入口 )
 
    
雪 月 花
隅  田
( 隅田川神社 ・ 木母寺入口 )
 
         

寺島法泉寺詣
( 法泉寺入口 )
 
 
白髭の翟(きじ)松 今戸の夕烟 
━絵本隅田川両岸一覧━
( 地 蔵 坂 ) 
 
   
須佐之男命厄神退治之図
( 見番通り入口・桜橋東詰 ) 
         

新板浮絵 三囲牛御前両社之図
( 見番通り入口・桜橋東詰 ) 
 
 
大川橋の月 小梅の泊松 ( 船 )
( 見番通り入口・桜橋東詰 )
 
 
御厩川岸より両国橋夕陽見
( 刀剣博物館(旧安田庭園
・同愛記念病院 ) 
 
         

首尾松の鉤舟 椎の木の夕蝉
( 刀剣博物館(旧安田庭園
・同愛記念病院)
 
 
駒 止 石 ━馬 尽━
( 国技館・水上バス乗り場 )
 

 
新柳橋の白雨御竹蔵の虹
ー絵本隅田川両岸一覧━
( 国技館・水上バス乗り場 )
       

 両国納涼一の橋弁天
( 両国駅西口 )

 
宮戸川長縄 ━ 千絵の海 ━
( 江島杉山神社) 
 
 
新板浮絵忠臣蔵 第十一段目
( 勝海舟生誕の地
・吉良邸跡入口 ) 
 



本所立川  ━富嶽三十六景━
( 勝海舟生誕の地・吉良邸跡入口 ) 
 

                                      (葛飾北斎ギャラリーヘ)






        墨田区役所 小さな散歩道
広場に向かう素敵な坂道が何カ所もあり、
頂上の広場から見渡す隅田川も素敵です!
住 所 / 吾妻橋1-23-20  





源森川水門横の坂道

         





         





         





         






 大横川の釣り堀で見かけた大きな鳥の群れ 
          





         






墨田区役所の建物の脇の坂道

         





         





         





         






吾妻橋船着き場坂道

             





         





         






ふ れ あ い 広 場

         





         





             





              





         





         





         





         





         





         





          





          





勝海舟銅像(日展作家木内禮智策)
像の高さは2.5m

            





         





       

建 立 の 記
勝海舟(通称・麟太郎、名は義邦、のち安房、安芳) は、文政六年 (一八二三年) 一月三十日、江戸
本所亀沢町 (両国四丁目) で、父小吉(左衛門太郎惟寅) の実家男谷邸に生まれ、明治三十二年
(一八九九年) 一月十九日 (発表は二十一日)、赤坂の氷川邸で逝去されました。勝海舟は幕末
と明治の激動期に、世界の中の日本の進路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で海国日本の
基礎を築き、多くの人材を育成しました。西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城をとり
きめた海舟は、江戸を戦禍から救い、今日の東京の発展と近代日本の平和的軌道を敷設した
英雄であります。この海舟像は、『勝海舟の銅像を建てる会』から墨田区に寄贈されたもので
あり、ここにその活動にご協力を賜った多くの方々に感謝するとともに、海舟の功績を顕彰して、
人びとの夢と勇気、活力と実践の発信源となれば、幸甚と存じます
  海舟生誕百八十年
  平成十五年(二○○三年)七月二十一日(海の日)
             墨田区長  山崎昇






浩  養  園  跡
この地は常陸谷田部藩細川氏・駿河沼津藩水野氏・越前福井藩松平氏・秋田藩佐竹氏の屋敷として
移り変わりましたが、邸内の庭は名園として聞こえていたようです。


         







浩  養  園  跡
          所 在 墨田区吾妻橋1丁目23番
この地は常陸谷田部藩細川氏・駿河沼津藩水野氏・越前福井藩松平氏・秋田藩佐竹氏の屋敷として
移りかわり、とりわけその邸内の庭が名園として聞こえていました。文政5年 (1822) 水野忠成の別邸
となって、池を中心に石をふんだんに用いた林泉式庭園を築造。丘を築き、浅草寺五重塔・隅田川
吾妻橋を望むものでした。万延元年 (1860) 佐竹氏に移り、浩養園・佐竹の庭として一層有名となり、
明治23年から一般公開もされ、多くの人々の憩いの場ともなっていました。その後、明治33年札幌
麦酒東京工場がここに設置され、39年には大日本麦酒吾妻橋工場となり、煉瓦造りの建物が庭園の
なかばを占めました。大正9年の工場拡張やつづく震災によって、その面影は失われました。平成に
入って墨田区役所・アサヒビール本社・住宅都市整備公団ビル等も建ち、現状のようになりました。
平成3年3月
       墨 田 区






        Quebom! Riverside Café e Bar
(キボン!リバーサイド カフェ エ バー)
ブラジル生まれのサッカーブランド
『ATHLETA』がプロデュース!
住 所 / 吾妻橋1-23-8
お値段も手頃で散歩の後に立ち寄るのに便利です。
 電 話 / 03-03-6658-8193  定休日 / 無休
営業時間 / AM10:30~PM19:00





         





         





        





            
二階はアスレチックコーナーです。






       


ギャラリーアビアント
貸 画 廊

住 所 / 吾妻橋1-23-30 電 話 / 03-3621-0278
営業時間 / am11:00~pm7:00 





            





大  沢  昌  助  展

          





                






        グリーンアロー ボルダリングパーク
浅草吾妻橋店

住 所:吾妻橋1-23-30 パトリア吾妻橋1F
電 話:03-6658-4906
営業時間 : 平日営業時間 12:00~22:00(月~金曜日)
    休日営業時間 10:00~20:00(土日・祝日)
定休日 : なし(パトリア吾妻橋の休館日は除く)





        





         








       本 所 吾 妻 橋 駅 北



        源 森 橋
スカイツリーの撮影ポイントとして
有名です。
住 所 / 向島1丁目  





         





源森川水門の川べりに群れがいました。

         





         







源 森 橋
源森橋の名前の由来は、現在の枕橋 (本橋から約200メートル隅田川寄りの橋)、古くは
源森橋と呼ばれていたものが、明治初期に枕橋に正式決定されたことから、本橋を源森橋と
呼ぶようになったことによるものである。その昔、現在の枕橋 (旧源森橋) が関東郡代であった
奈半十郎により中之郷瓦町(現在の吾妻橋地区) から新小梅町 (現在の向島地区) に通ずる源森側
(北十間川) に架けられた。また枕橋 (旧源森橋) 北側にあった水戸屋敷内に大川 (隅田川) から引
き入れた小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。この二つの橋(旧源森橋、
新小梅橋)は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称されるようになったその後
、水戸屋敷内への堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅し、残った旧源森橋は明治初期に正式
に枕橋と呼ばれることになり、旧源森橋の東側にあった本橋を源森橋と公称した。現在の源森橋
は、昭和3年に架設した鋼橋(上路式アーチ橋)が約80年経過し、老朽化したため、平成19年3月に
鋼橋(鋼床版鈑桁)に架け替えられたものである。
                                     平成19年3月





タイトル:〔江戸切絵図〕. 本所絵図
著者:景山致恭,戸松昌訓,井山能知/編  出版者:尾張屋清七
出版年月日:嘉永2-文久2(1849-1862)刊


水戸殿の下の川に源森橋とあります






        源 森 川 水 門
隅田川と北十間川の接続点に設置された幅11メー
トル、門扉高さは7.5mのローラーゲート式水門
で、江東デルタ地帯を守る防潮水門です。通常は
開放されていますが高潮や津波の恐れがある
場合は直ちに閉鎖されるそうです。
住所 / 吾妻橋1丁目  





         





         





         





         






        枕   橋
隅田公園が水戸家の下屋敷だった頃、新小梅橋
とそのそばの源森橋が並ぶ様子が、夫婦が枕を
並べたように見えたことから、「枕橋」とい
う名がつけられました。後に新小梅橋は撤去
され、元の源森橋だけが単独で枕橋と呼ばれ
てるいるそうです。
住 所 / 吾妻橋1丁目  





         





         





         





         





         







枕 橋 の 由 来
寛文2年(1662年)、関東郡代であった伊奈半十郎により、中之郷 (現在の吾妻橋) から向島に通じる
源森川に源森橋が架けられた。またその北側にあった水戸屋敷内に大川 (隅田川) から引き入れた
小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。この二つの橋は並んで架けられて
いたため、いつの頃からか枕橋と総称されるようになった。その後、堀は埋められ新小梅橋もい
つしか消滅した。明治8年、残った源森橋は正式に枕橋と呼ばれることとなった。現在の枕橋は
昭和3年に架け替えられたものである。昭和63年、本橋は東京都著名橋に指定された。
                                平成4年3月





タイトル:[枕橋之図]
著者:[井上探景] [画]  出版者:[出版者不明]


         






枕橋 掲載資料 旅の家つと. 第29
刊行年 明治33(1900)
            
枕橋八百松楼掲載資料:東京風景
刊行年:明治44(1911)








       本 所 吾 妻 橋 駅 東



      

南 蔵 院 跡
関東大震災で罹災したため葛飾区東水元2丁目
28番25号に移転しました。境内には荒縄で縛
られたお地蔵様が祀られています。
所在地 / 吾妻橋3-6 





          





 

南 蔵 院 跡 (しばられ地蔵と業平伝説)
            所在地  墨田区吾妻橋三丁目六番
この一画には、しばられ地蔵でよく知られる南蔵院という寺院がありました。しばられ地蔵とは、
大岡政談で一役買ったお地蔵様のことです。ある時、日本橋木綿問屋の手代が業平橋の近くで商品
の反物を盗まれてしまいます。商いの疲れからお地蔵様のそばで居眠りをしていた間のことなので
、手がかりがまるでありません。そこで町奉行大岡越前守は一計を案じ、このお地蔵様を犯人と
して縛り上げ奉行所に運びました。その上、お白洲で地蔵の裁きをする旨のお触れまで出したのです。
この噂はたちまち広まり、お裁き当日の奉行所は詰めかけた野次馬でごったがえし大混乱となりました。
越前守は騒ぎを起こした罰と称して、見物に集まった人々に1反ずつ反物を納めさせました。すると、
集まった反物の中には予想どおり盗品が混じっていました。越前守は納め主を割り出して真犯人を捕らえ、
事件は無事解決したのでした。この話から、南蔵院のお地蔵様を縛ってお願いすると、失くしたものが
戻ってくるとか、泥棒よけのご利益があると信じられるようになり、しばられ地蔵と呼ばれ、人々の
信仰を集めるようになりました。一方、南蔵院の境内にはかつて業平天神社がありました。平安時代の歌人・
在原業平をまつったものといわれます。業平は、隅田川を舟で渡ったときに
「名にし負はば いざ言問(ことと)はむ都鳥(みやこどり) わが思ふ人は ありやなしやと」
と詠みました。(『伊勢物語』)。
現在も地名や橋の名前などに業平の名前を残しているのは、このことに由来しています。南蔵院は、
昭和元年(一九二五)に葛飾区水元に移転しましたが、現在でもしばられ地蔵の信仰と風習で
知られています。
                             平成二十一年三月






       
 鬼 平 情 景
業 平 橋 (大川橋)

「敵」の中で、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで
尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷
わきの木立に身を隠す場面で登場します。
所在地 / 吾妻橋3-4  






          





         

鬼 平 情 景
業 平 橋
最初の橋は、本所開拓で開削された横川に、寛文二 (一六六二) 年に架けられました。長さ七間、
幅二間の板橋です。橋名は、すぐ西にあった南蔵院境内に「伊勢物語」の悲運の主人公、在原業平
の作とされる衣冠の木座像をご神体とする業平天神社があったことによります。「東下り」に因み
舟形の業平の塚もあったとされています。南蔵院は大岡裁きの「しばられ地蔵」で有名ですが、
現在は葛飾区東水元に移転しています。鬼平犯科帳では、「敵」に登場します。五郎蔵は人気のない
業平橋を渡った時、人につけられていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立へ飛びこんで
提灯の明かりを消し、後ろを伺う場面があります。江戸の頃はこの辺りで採れた業平蜆が美味で
特産品とされ、作品にもたびたび出てきます。
                                             墨 田 区






       さ さ や カ フ ェ
すみだパークギャラリー
大横川親水公園に面し、ギャラリーを併設し、
広々とした空間には癒されます。
全てオーガニックメニューです。
住 所 / 横川1-1-10  電 話 / 03-3623-6341
 





         





         





         





         





         





         






         
   
 
    
 
       



所在地:吾妻橋三丁目、業平一丁目、東駒形四丁目、横川一丁目、本所四丁目、
太平一丁目、石原四丁目、錦糸一丁目、亀沢四丁目、江東橋一丁目、緑四丁目
面積:63,973.17平方メートル  桜の本数:82本


➀・業 平 橋~平 川 橋  ②・平 川 橋~横 川 橋  ③・横 川 橋~紅 葉 橋  ④・紅 葉 橋~法 恩 寺 橋

⑤・法 恩 寺 橋~清 平 橋  ⑥・清 平 橋~長 崎 橋  ⑦・長 崎 橋~江 東 橋  ⑧・江 東 橋~撞 木 橋




➀・業 平 橋~平 川 橋

         





         





         





         





         





         





         





         





         





平川橋からみた桜、素晴らしい!。(令和4年3月28日)

         





平 川 橋 落 慶 記 念 碑

         





      


平 川 橋 落 慶 記 念 碑
ここにあった平川橋は、長さ28.17メートル、幅13.37メートルの鋼橋 (鋼単純ワーレントラス橋)で、
関東大震災の復興事業により昭和4年に架けられました。太平洋戦争時には、金属供出のため高欄が
撤去されましたが、戦後の昭和27年には復旧されました。その後も定期的に補修を続けてきましたが、
老朽化が進行したため架橋後82年が経過した平成23年にその役目を終えて撤去し、新たに道路として
整備しました。永い間、親しまれた本橋の面影を慕い、橋名板とトラスの一部を遺してその歩みを記します。
                                            平成24年3月






②・平 川 橋~横 川 橋

         





         





         





         





         






③・横 川 橋~紅 葉 橋

         





 
橋の右手はすみだむかしばなしのレリーフです。
          
 





         





         





         





すみだむかしばなし・本所七不思議

         





         





          





本 所 七 不 思 議

         

本所七不思議
       ➀置いてけ堀

夕方になって釣り人が帰ろうとすると 堀の中から「おいてけ!」という声が聞こえてきます。
周囲に人影はなく、空耳と思って立ち去ろうとすると、途中で必ず足がすくみ、釣った魚は
いつのまにかいなくなってしまう。    ( 錦糸町駅北口付近、錦糸堀 )
( 江東区亀戸1-12第三亀戸中学校 )



昇旭斎国輝画
( 三代目歌川 国輝 )
 
     置 い て け 堀
                     (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
この堀では非常に魚が釣れるが、夕方になって釣り人が帰ろうとすると、堀の中から「オイ
テケ! オイテケ!」と叫ぶ声が聞こえるという。周囲に人影はなく、釣り人は空耳と思っ
て立ち去ろうとすると、途中で必ず足がすくみ、釣った魚はいつのまにかいなくなってしまう。釣り人は、「きっと堀に落ちたのだろう」とあきらめて、もぬけの殻となったビク(魚を入
るもの)を提げてしょんぼり家路を急ぐだけとなる。この堀では誰もが同じ目に遭うので、
釣人は「釣った魚は置いていくしかない」とあきらめるようになったという。「オイテケ」
というのは、ビクの中の魚を置いてけという事でこれから「置いてけ堀」の名が生まれた。
しかし、この「置いてけ堀」がどこだったかというと、いろいろな説があり、いまの東京楽
天地あたりとか、亀戸とか、また横網にあった「御竹蔵」の周囲の堀であるとか色々伝えら
れている。





         

本所七不思議
       ②あかりなしそば

寒い冬の夜道に、毎晩そば屋が店をはっていた。おかしなことにいつも灯はついていない。
客が火を付けてやるのだが、ふっと消えてしまう。何度付けても消える。こうして帰った人
の家には必ず凶事があるという。 
 



灯り無しの蕎麦屋」
昇旭斎国輝画
 
    あかりなしソバ
                    (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
肌さえ凍る冬の夜、人の往来もまれな本所南割下水(いまの江東市場後地から錦糸公園に通
じる道。昔は中央が掘割であった)に毎晩そば屋が店をはっていた。あんどんには、筆太の
字で“二八そば”(代金十六文だったからという説と、そば粉が八分でうどん粉が二分という
説がある)”切りうどん”と書かれている。だがおかしなことに、手探りするような暗い夜な
のに、いつも灯はついていない。そこで客が火を付けてやるのだが、たちまち消えてしまう
。きっと皿に油がないのだろうとか、誰かのいたずらと思って懲りずに火をつければ、同じ
ように消えてしまう。「さて不思議なことよ」と思いながら家に帰ると、その家には必ず災
いが起こるという不吉なそば屋。「消えずのあんどん」の方は、反対にいつでもともり、火
の消えたのを見たことがないという。 






「送り提灯」昇旭斎国輝画   
           



本所七不思議
       
 ③送りちょうちん
夜ふけて道を歩いていると、ちょうちんのあかりが見えるので これに向って進んで行くとちょうちんのあか
りはパッと消えてしまう。しばらくたつとまた、前方に現れ、いつまでたっても追いつくことができない



「送り提灯」
昇旭斎国輝画
    

送りちょうちん
                     (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
夜ふけて道を歩いていると、いつのまにか前方にちょうちんのあかりが現れ、人を送って
いるように見えるので、これに向かって進んで行くと、ちょうちんのあかりはパッと消え
てしまう。しばらくすると、また、前方に現れ、いつまでたっても追いつくことができな
い。本所の人たちは、このなんとも薄気味の悪いちょうちんに出くわしているうちに、い
つのまにか「送りちょうちん」と呼ぶようになったという。


 





         

本所七不思議
      
 ④送 り 拍 子 木
人影もとだえ、しのつく雨のなか、割下水を夜回りが「火の用心」カチカチと拍子木を打つ。
すると打ち終えたはずの拍子木なのに後から同じように繰り返してカチカチと無気味な音
が人を送るように聞こえるという。    ( 江東橋脇、緑4丁目24付近 )
 


 
「送り拍子木」
昇旭斎国輝画
    送 り 拍 子 木
                    (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
人影もとだえた南割下水(今の江東市場跡地から錦糸公園に通じる道。昔は中央が掘割りだ
った)に、ちょうちんのあかりをたよりに「火の用心」と声を大きくして町並を行く。”夜
回り”がいた。拍子木をカチカチと打って「火の用心」。すると打ち終えたはずの拍子木
なのに、後から同じように繰り返して、カチカチと無気味な音が人を送るように聞こえる
という。これが「送り拍子木」である。これは、静まり返った町のたたずまいの中で、拍
子木の音がこだましたのであろう。でも、あまり科学的に突き詰めては、話も七不思議
も興なしである。





         

本所七不思議
        
 ⑤足 洗 い 屋 敷
本所三笠町に住む旗本屋敷に、夜ごと家鳴りがし、天井からひどくよごれた大足がニョッキリ出る。
足を洗ってやるとおとなしく引込める。たまりかねた主人は同僚と屋敷を交換したところ、
足は現れなくなったという。  ( 本所三笠町→江戸時代の本所三笠町(現・墨田区亀沢2丁目 )
( 味野岌之助という旗本の上屋敷 )
 


「足洗い屋敷」
昇旭斎国輝画
           足 洗 い 屋 敷
                      (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
本所三笠町(いまの亀沢)に住む幕府旗本の屋敷毎晩不思議なことが起こる。草木も眠るというほどのしんしんとした丑(うし)三つ(午前2時頃) どき。なまぐさい風が吹くにつれて、この屋敷は、家鳴りし激しく揺れ動く。ほどなく、天上からメリメリというすさまじい音とともに天井から毛むくじゃらの大きな足がニョッキリ出る。足は血に染まり、ひどくよごれている。「足を洗え!」と突然無気味な声がする。待ち構えた腰元や下女たちが大きなたらいに水を入れて、足をきれいに洗ってやる。すると“足”はおとなしく足を引っ込める。
これが毎日続くのだから、たまったものではない。いつの間にか、この屋敷を“足洗い屋敷”と呼ぶようになった。しかし、足をすこしでもおろそかに扱うと、たちまち、“足”は怒って家をこわさんばかりに揺り動かす。ついにたまりかねた屋敷の主人は、同僚と相談して屋敷を交換することにした。するとこの大きな“足”は二度と現れなくなったという。





         

本所七不思議
        ⑥片葉のあし

本所藤代町の南側から両国橋の広小路に渡る 駒留橋の
下を流れる隅田川の入堀にはえていた「あし」は、双方に葉がでずに片側だけしか葉がでていないので
「片葉のあし」と呼ばれ、不思議がられたという。( 両国橋詰め 。駒止留橋は東両国広小路の北側
(現京葉道路の南側)に有ったごく小さな橋で、その下の堀を片葉掘りと言った。 )




 
「片葉のアシ」
昇旭斎国輝画  
     片 葉 の あ し
                    (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
大橋(両国橋のこと、いまの橋より下流にあった)の北側に、“駒留橋”があった。その橋の下
を流れる入堀に生えていた「あし」は、片側だけしか葉が出ないので、「片葉のあし」と呼
ばれていた。なぜ、一方にしか葉が出なくなったかというと━━。むかし、横網に留蔵とい
うならず者がいて、これが、亀沢町のお駒という娘に思いを寄せていた。しかし、これは、
留蔵の片思いで、いつも冷たくあしらわれていた。そこで留蔵は、かわいさあまって憎さ百
倍とばかり、ある夜、凶行に及んだ。留蔵は、逃げるお駒に後ろから切りつけたが、なおあ
きたらず、片手、片足を切り落として、死体をこの入堀に投げ込んでしまったのである。そ
れから後、この入堀に生えるあしは、みな片葉となったといわれている。「葛西志」には、
この入堀の名が「片葉堀」として記されている。また、一説によると、この堀は西日しか受
けないため、あしが片葉になったという





         

本所七不思議
      ⑦狸 ば や し

稲穂がなびくころ夜ごと、どこからともなく聞こえてくる太鼓の音。ついフラフラと
つり出され、歩き疲れて家に帰り寝てしまう夜が明けてみると自分の家だと思った
のが野原で、たぬきにばかされたという訳です。
 ( 備前国平戸藩松浦家下屋敷→東駒形3丁目本所中学 )
 

 
「たぬき囃子」
昇旭斎国輝画  
     狸 ば や し
                    (墨田区役所・すみだむかしばなしより)
稲穂がなびくころ、本所の人の耳に夜ごと祭りのおはやしが、ある時は近くから、ある時は
遠くからというようにどこからとなく聞こえてくる。人びとはあまりのおもしろさにつぃフ
ラフラと浮かれ出てあちこち耳をそばだて、捜し歩いてしまう。ついに歩き疲れて、家に帰
り前後を忘れてそのまま寝てしまう。ところが、夜明けごろ、頭上で鳴くカラスに起こされ
て、あたりをみると「コリャー大変」。自分の家だと思っていたのが、なんと広々とした野
原。そこにただひとり、腕まくらで高いびきをかいていたのが自分だった。タヌキにばかさ
れたのである。これが世にいう「タヌキの化けばやし」で、そのころの本所には、タヌキが
住む広い野原が残っていたのであろう。タヌキばやしは千葉の証誠寺が本家だから、もし
かすると千葉の方から聞こえたのかも知れない。



 その他本所七不思議 (七不思議は七つ以上ありました。)
「落葉無き椎の木」  平戸新田藩松浦家上屋敷、 両国公会堂付近  「津軽屋敷の太鼓」 北斎通り上屋敷は亀沢2丁目緑公園一帯「消えずの行灯」、 「燈無蕎麦」   南割り下水付近=北斎通り





すみだむかしばなし


塩 原 太 助 
          
 杉 山 検 校・与 兵 衛 ず し 






駒  留  石
          
し ば ら れ 地 蔵 






四 谷 怪 談 意 外 誌・在 原 業 平
          
雨 乞 い の 句 碑 






狸 塚
 
         
梅 若 丸   





昔ばなしにちなむ、水にすむ動物を拾い集めて図案化したモザイクパネルの絵

         





         

モザイクパネルの説明
 墨田区の地域が本格的に開け始めたのは、江戸時代初期の本所開拓(かいたく)からです。それ以前は、
南部は湿地帯(しっちたい)、北部は農村地帯でした。徳川幕府(とくがわばくふ)は、万治二年 (一六五九年)
本所開拓のために、多くの掘割(ほりわり) (水路) 開削(かいさく)して、その土で低湿地(ていしっち)を埋め
立てました。そうした中で、当時の開拓にまつわる様々な話が、今もなお伝説や史跡となって数多く残され
ています。このモザイクパネルの絵は、昔ばなしにちなむ、水にすむ動物をひろいあつめて図案化したもの
です。「昔は、掘割にたくさんのかっぱがすんでいました。それだけに争いも多くなって、その中でも、
源森(げんもり)川の源兵衛(げんべい)かっぱと、仙台堀(せんだいぼり)川の仙台かっぱの争いがはげしくなり
かけたため船手頭(ふねてがしら)の向井将監(むかいしょうげん) (墨田川の船の通行を取り締まる
人) も困りはてて、大横川の錦糸堀かっぱの長老にたのんで、争いをやめさせているところです。」この
付近の昔話は、この 「かっぱ争い」のほかに、「鯉(こい)の心中」 「古池の大がめ」「たにしさま」
などがあります。
                                     墨 田 区






藤の花イッパイのビルの壁

         





         






④・ 紅 葉 橋~法  恩  寺  橋

         





         





         





         





         





⑤ ・法 恩 寺 橋 ~清 平 橋

         






 
         
ニャンコが居眠りをしていました。





         





         





         





         





⑥・清 平 橋~長 崎 橋

         





         





         





      


         

清 平 橋 の 由 来
大横川親水公園をまたぐ清平橋は、関東大震災の復興事業により昭和4年に架けられました。かつては川の
西側が清水町、東側が太平町と呼ばれていたことから、両町名から一文字ずつ取って清平橋と名づけられました。
架橋時は長さ38.97mの鋼橋(3径間ゲルバー橋)でしたが、老朽化が進行したため、架橋から82年が経過した
平成23年に、長さ10.00mのコンクリート橋(プレテンション方式PC単純床版橋)に架け替えました。架け
替えを記念して、旧橋の橋名板と鋼材の一部を遺してその歩みを記します。
                       平成24年3月





⑦・長 崎 橋~江 東 橋

         





        

長 崎 橋 の 由 来
ここにあった長崎橋は 元禄10年 (1697) 当時の本所奉行鈴木兵九郎、鳥屋久五郎、両名によって、墨田区
亀沢四丁目より同錦糸一丁目に架けられました。最初は長さ10間 (18.0m)、幅2間半 (4.5m) の木橋でし
たが、その後何回となく架け替えられ、昭和4年6月には、鋼橋 (トラス) になりました。この橋は、大横川
親水河川整備事業によりその役目を終えて撤去しました。なお、橋の名前は、当時西側に隣接した本所長崎町
の地名にちなんで長崎橋と名付られ、永い間、親しまれた本橋の面影を慕い橋名板を残して、その歩みを
記します。
                                    平成3年6月





牛島神社のお祭り(平成22年9月17日)

         





         





         





         





         





         





         





⑧・ 江 東 橋~撞 木 橋

         





         





         








        



       
たばこと塩の博物館
住 所 / 横川1-16-3  定 休 日 / 月曜日
電 話 / 3-3622-8801  
営業時間 / AM10:00~PM6:00
入館料 大人・大学生 100円
・小・中・高校生 50円
※特別展は別料金の場合があります
 





          





          





           





          





大 横 川 入 口

         






       
 小 梅 銭 座 跡
『古今泉貨鑑(ここんせんかかがみ)』によれば、
元文元年(一七三六)十月二十日に裏面に「小」
の一字を入れた寛永通宝が鋳造されたようです。
業平1-7-2





         





         





 

小 梅 銭 座 跡
所在地  業平一丁目七番・十三番・十四番
銭(ぜに)は、中央に四角い小さな孔(あな)をあけた円形の金属貨幣で、国内では七世紀後半の
富(ふ)本(ほん)銭(せん)の鋳造に始まると考えられています。八世紀初頭から十世紀半ばにかけて
は和同開珎(わどうかいちん)をはじめとするいわゆる皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)が鋳造
(ちゅうぞう)されました。公鋳銭の発行は、平安時代の末から長らく途絶しましたが、寛永十三年
(一六三六)六月、江戸幕府は芝網縄手と浅草橋場、近江坂本に銭座を設け、寛永(かんえい)通宝
(つうほう)を発行するようになりました。そして以後、幕末にいたるまで各種の銅銭が流通したのです。
江戸時代後期の有名な地誌、『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふうどきこう)』によれば、
当地にあった銭座はとくに「新銭座」の名で呼ばれ、その敷地は百二十間四方(約四万七千㎡)に
及んだそうです。稼働期間は不明ですが、『古今泉貨鑑(ここんせんかかがみ)』によれば、元文元年
(一七三六)十月二十日に裏面に「小」の一字を入れた寛永通宝が鋳造されたようです。(右図)。
運営は、幕府の御用商人が請け負いました。幕府の財政経済資料をまとめた『吹(すい)
塵録(じんろく)』(勝海舟編)には、野州屋(やしゅうや)・南部屋(なんぶや)という二つの屋号が確認
できます。なお、墨田区内では、当地の他押上や本所馬場、本所横川にも銭座があったとされ、
とくに本所馬場では天保(てんぽう)通宝(つうほう)【天保銭】を鋳造していたと伝わっています。
  平成二十五年五月
         墨田区教育委員会






        王貞治氏「野球人生の原点」記念銘板
(業平公園内)

住 所 / 業平2丁目3-2 
 





         





         





 
中央の建物はラブタイムカフェです。
            





         





         





         





            

「王貞治の野球はここから始まりました」
第二次世界大戦が終わり、日本の復興が始まった頃、この小さな公園で、夢中になって
三角ベースボールを楽しむ子ども達の中に、世界のホームラン王、王貞治の少年時代の
姿がありました。王少年の打ったボールは、たびたび隣の小学校(旧校舎)の屋上を越える
ほどの大飛球でした。野球人、王貞治の原点がここにあります。

【王貞治氏の経歴】
1940年(昭和15年)5月20日、東京市向島区(現・墨田区)生まれ。
業平小学校、本所中学校を卒業。早稲田実業学校高等部から読売巨人軍
に入団し、生涯通算本塁打は868本という世界一の記録達成者。

The Beginning of Sadaharu Oh’s Baseball Career
World War Ⅱ had ended, and japan’s reconstruction had just begun. In a small park, a group
of children are playing a three-base version of baseball. Among them is Sadaharu Oh, the future
world homerun king. He hits the ball, and time again it flies, higher and higher, over the adjacent
school building. This was the beginning of Sadaharu Oh’s baseball career.

Background:
Sadaharu Oh was born May 20, 1940, in Tokyo’s Mukoujima Ward (presently Sumida Ward).
He graduated from Narihira Elementary school and Honjo Junior High School. Drafted to the
Yomiuri Giants from Waseda Jitsugyo High School, he holds the world lifetime homerun record,
with 868 homeruns during his career






        墨田区立業平小学校
王貞治選手の母校
入口の左側に王選手の手形があります!
住 所 / 業平2丁目4番8号  電 話 / 03-3625-0331
 





         





         





         





             






    
 住 所 / 業平三丁目2-5 
      





         





         





           

大 雲 寺 ( 役者寺 ) 跡
   所在地  墨田区業平三丁目二番、一、三、四番の一部
 この地は「役者寺」とも「赤門寺」とも呼ばれた浄土宗知恩院末の寺院跡です。
本尊は運慶(うんけい)作の阿弥陀如来と伝えられています。元和六年 (一六二〇) に梵譽(ぼんよ)
貞存が浅草森田町に創建しました。寛文八年 (一六六八) に類焼したため、本所押上村に新しい
土地を幕府から拝領しました。江戸幕府による市街地の拡張の一環として行われた最初の本所・
深川の開拓に伴う移転だったと考えられます。歌舞伎の初代中村 (猿若) 勘三郎以後十三代、
初代市村羽左衛門(うざえもん)以後十六代、さらには四、五、六代松本幸四郎や初代、三、五、
六代の尾上(おのえ)菊五郎ら多くの歌舞伎役者たちの菩提寺であることから「役者寺」とも呼ばれ
ました。関東大震災を契機として、昭和六年 (一九三一) 、現在の江戸川区西瑞江二丁目に移転
しました。平成十年、この大雲寺の範囲の一画であった墨田区職員住宅の建築に伴い、江戸時代
の埋葬墓等の遺構が発見され、発掘調査が実施されました。
   平成二十年三月
            墨田区教育委員会






        大 島 部 屋
 しこ名 旭天鵬(きょくてんほう)

住 所 / 業平三丁目1-9 





         





             






      

押 上 天 祖 神 社

おしなり商店街のある押上・業平橋地区の村社
として地域の人々の崇敬を集める神社です
住 所 / 墨田区業平2丁目9−6 





          





              





              

押上天祖神社御由緒
押上天祖神社は、明治五年十月元押上村の村社に列し祭日は九月十六日と定められて、今日に
及んでいる。その起因するところによれば、古く延元年間より祭ってあった。延元は建武の次で、
南朝の忠臣楠木正成公が湊川の合戦で戦死し、後醍醐天皇が吉野に行かれた頃で、今から六百余年
の昔に当る。当時は押上と云ったかどうか分らないが、大昔は現在の東京の下町は海で、ところ
どころに島や浮洲があった。この辺は柳島と云われ早い時代に陸地となり人が住んだとも伝えられ
ている。其の後、花園天皇時代に神明社と称した。祭神は天照大神と八幡、春日両大紳を祭ってある。
また一説には現在の京成橋付近で川が増水して堤防に押上げられてあった御神体を、当時附近の農民
等が安置して祭ったとも云われている。その頃は下総国葛飾郡押上村で、其の後に武蔵国に編入され、
明治五年村社に列する事となり、明治十一年の記録には「武蔵国葛飾郡押上村之内字居村向耕地、
田八畝十八歩、この代金十六円八十銭、同村天祖神社、同所畑二十五歩、この代金二円五十銭」
という文献が残っている。天祖神社は呼名を朝日神明宮と云われた時代があったそうですが、其の
時代は神仏の混交時代で、徳正寺という寺が管理して居たのが、明治初年に行われた神仏分離により、
神官のいない為か牛島神社の区域であり、本社は牛島神社で、押上天祖神社は其の末社と云う事に
なっている。又大正十年に大祭が行われ、同十二年の関東大震災で社殿を焼失した。天祖神社はこの
頃迄は、平川橋四丁目地域にあったのが、後、昭和三年の区画整理で、現在地(業平二の十三の十三)
に替地になったのである。境内は二百七十二坪五合五勺、大震災で焼失後社殿も新築されたが、昭和
二十年三月十日の戦災で、又も焼失した。そして昭和二十七年度大祭の折、再び新築し、続いて昭和
三十二年の大祭には鳥居が再建され、又玉垣、塀、水屋等も出来、神社としての形態が整ったのであります。
尚、終戦後の宗教法人法による神社認可となっている。昭和三十七年境内には社務所、会館を設立すると
共に従前の六カ町の外に新たに旧業平橋一丁目と、旧向島押上町が加わり、八カ町の神社となっている。
五月五日に新調されたもので、今迄に関東大震災と戦災で二回に亘る災害にあったが、現在の神輿庫が
奇跡的に焼失をまぬがれたので大神輿も当時のままの荘厳華麗な姿を残して居ります。其の間、
明治四十四年九月、大正十年五月と何回かの修理を行って居ります。
                         墨田区史より
  平成十年七月吉日
                    押上天祖神社総代会









         種田の足袋  磯 貝 商 店
タイムスリップ、お店の中は江戸情緒たっぷり!
大正後期創業、鳶職の方々の地下足袋を作って
いたそうです。(現在は足袋は作成していません)
住 所 / 業平1-1012   電 話 / 03-3622-2665
           定 休 日 / 正月三が日
 営業時間/ 平日/9:00~19:00 日・祭/9:00~18:00





          





         





         





         





         






       
 鬼 平 情 景
西 尾 隠 岐 守 屋 敷

遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷があり
ました。周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の
行楽地でした。鬼平犯科帳では、賭場や盗人宿
への経路としてたびたび登場します。
住 所 / 業平1-13-7 





          





          

鬼 平 情 景
西 尾 隠 岐 守 屋 敷
遠江国横須賀藩三万五千石で、城中で将軍に諸事を取り次ぎ、礼式を管理した奏者番の職にあった
西尾隠岐守の抱屋敷です。敷地はおよそ一万三千坪あり、津軽家上屋敷がおよそ八千坪といいます
から、その一・六倍はあったことになります。当時、周辺は押上村、小梅村と称され長閑な田園
地帯が広がり、その中に寺社仏閣が点在していました。内河川が発達していたことから四季折々の
変化を舟で楽しむ江戸市民の人気の行楽先でした。しかし、夜ともなると、明かりもめったに見え
ない実に寂しい土地となり、大名の下屋敷は博奕場に変わり、盗賊の盗人宿も加わって、脛に疵を
持つ者が身を隠す恰好の場所になります。鬼平犯科帳では、賭場や盗人宿への経路として
たびたび登場します。









      
 
鬼 平 情 景 春 慶 寺 
所在地 / 業平2-14-9
      





         











         





         





        

春 慶 寺
元和元(一六一五)年、真如院理上人によって浅草森田町に創建され、寛文七(一六六七)年に本所押上村
に移転してきました。江戸時代から押上の普賢様と親しまれ、多くの参拝客で賑わっています。
鬼平犯科帳では平蔵の剣友、岸井左馬之助の寄宿先として多くの作品に登場します。なかでも
「明神の次郎吉」は春慶寺が主な舞台になっていて、寺域や押上周辺の当時の様子が描かれています。
左馬之助が盗人の次郎吉を荷車に乗せ、蛍が飛んでいる横川沿いの道を五鉄に向かい、もてなす
下りは実に微笑ましい情景です。その左馬之助を何度も演じた俳優・江守徹の揮毫による石碑が
平成十五年に建てられています。
                                       墨田区

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つぶやきいってみよう
墨田区役所(勝海舟像入口)バス停~春慶寺<東京スカイツリータウン前>バス停

      〇 満 願 堂  〇パン メゾン 
本 所 吾 妻 橋 駅 東    Voyage Side (ボヤージュサイド)  〇御 芋 OIMO 
  お 城 森 八  〇み り ん 堂   〇業 平 キ ム ラ ヤ  〇(有) 春 日 屋 製 菓
ラブタイムカフェ×TOKYO MIYAKO    〇味 吟   〇
ベルーガ
〇山 本 珈 琲 東京営業所
 



      



       
満  願  堂
おいもさんいろいろ
住 所 / 墨田区吾妻橋1-19-16(野口ビル1F)
TEL:03-3622-3128
【営業時間】9:30~17:30(当面の間)
定休日 / 月曜日 (祝日の場合は営業します) 





        





         





             






      
 塩パン屋 ・メゾン
愛媛県で行列のパン屋さん
住 所 / 吾妻橋2-4-1  電 話 / 03-6240-4777
定 休 日 / 火 曜 日 営業時間 / AM7:30~PM19:00





         





         





          



       本 所 吾 妻 橋 駅 東



       Voyage Side (ボヤージュサイド)
焼きたてのパンを毎日提供。
北海道産小麦「春よ恋」とカナダ産小麦を中心に使用。
菓子パン以外はマーガリン、イーストフード、卵は使用
していません。
御芋さんを販売してくださっています。
住 所 / 吾妻橋3-1-7-101 電 話 / 03-6240-4077
営業時間 / AM10:00~PM19:00





         





         

















       御芋 OIMO
専用の壺を使用して時間をかけて焼き上げた壺焼き芋!
/6から9~10月の新芋が手に入る時期まで店舗は休業
  ※雨天休業   通販は受け付けています。
住 所 / 吾妻橋3-4-9    電 話 / 03-6693-4117
営業時間 / AM10:00~PM19:00

Voyage Side (ボヤージュサイド)さん購入して15分後
に緑陰でいただいた冷凍芋の味には惹かれました!






         





              





        





美味しいうえに片頭痛にもいいなんて、嬉しい限りです!
偏頭痛にお悩みの貴方へ 気温差が激しい今日この頃 加えて梅雨の様なお天気で低気圧までもが
襲ってきていますね… 私も偏頭痛に悩まされているうちの1人ですが 最近は昔よりマシなような
(気のせいかも)実は!さつまいもって偏頭痛までもを解消してくれるんです 片頭痛を起こしにくくする
栄養素として、 マグネシウム・ビタミンB₂などのビタミン群・カルシウム・食物繊維があります。
さつまいもの得意分野、食物繊維!! 食物繊維にはコレステロール値を低下させる作用があり、
血管を健全に保つことができます。 これらの栄養素を含む食品を積極的に摂取すると 片頭痛の
頻度(回数)を抑えることができます。 季節の変わり目、辛い梅雨の時期は 美味しい壺焼き芋で乗り
切りませんか? 暑くなってきたので、冷やし焼き芋もオススメです



        



        
お 城 森 八

昭和8年創業、創業当時から小豆の風味を
殺さないようにという変わらぬレシピで、
しっかりした風味のある餡を作っています。
住 所 / 業平1-3-6  定 休 日 / 不定休
電 話 / 03-3622-0006  営業時間 / 9:00~18:00
駐 車 場 / 2台有 





         





         





         





         





               





         






        【み り ん 堂】
大正12年(関東大震災)本所区仲ノ郷業平橋(現在の
場所)で創業しました。山形の庄内米を主とした、国内
産のみを原料に使用しています。お醤油のタレは、
創業以来代々継ぎ足してきた家伝のものです。お店
の横には鬼平情景西尾隠岐守屋敷の案内板があります
住 所 / 業平1-13-7  電 話 / 03-3621-2151
定休日 / 月曜日(臨時休業有) 営業時間 / 9時~18時
 





         





         





         





         











         





         





         






      
手づくりパン
業 平 キ ム ラ ヤ
シベリアが一味ちがいます!栗入りと
栗なしがあります!
 住 所 / 業平1-10-4  電 話 / 03-3624-6441
営業時間 / 7:00~20:00 
   定休日 / 月曜日





         





         





         






        ラブタイムカフェ×TOKYO MIYAKO
有限会社ミヤココーポレーション
コーヒーとワインのお店
 住 所 / 業平3-8-1 1F 電 話 / 03-3625-8640
休業日 /  金曜日(午後の部)、日曜日、祝祭日
営業時間 / 午前の部:10時30分~12時
       午後の部:15時~19時





         





            

















         





               





         





         






         春 日 屋 製 菓
人形焼きの製造
小売もして下さいます。12個入りが2つ入った箱で
1000円でした。甘味が控えめで美味しかったです。
住 所 / 業平2丁目8-4  電 話 / 03-3622-9502 

営業時間 / 8:30~19:00  定休日 / 無休





         





              






       
味   吟(あじぎん) 押上店
一味違うお稲荷さん!
住 所 / 業平2-14-6 電 話 / 03-3623-3950
定 休 日 / 月曜日・火曜日 営業時間 / 8:45~15:00





         





           






      
ベ ル ー ガ(Beluga)
ロシア料理で有名です!
住 所 / 業平1-7-20  電 話 / 03-3623-7823
定 休 日 / 火曜日・水曜日





         





         






      
山 本 珈 琲 東京営業所
業務用有機栽培珈琲
毎月5のつく日珈琲豆半額セール、一般の方も
購入できます。
住 所 / 業平3-8-4 電 話 / 03-6284-1933
定 休 日/土・日 

ラブタイムカフェの並びです。





         

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墨 田 区 内 循 環 バ ス 時 刻 表
(すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん)








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