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スカイ姫のつぶやきギャラリー
月 岡 芳 年
月岡芳年は幕末から明治中期にかけて活動した浮世絵師で、天保10年3月17日(1839年4月30日)
武蔵国豊島郡新橋南大坂町(現在の東京都中央区銀座八丁目6番)に生まれ明治25年(1892年)
6月9日(満53歳没)で東京市本所区藤代町(現在の東京都墨田区両国)で亡くなりました。歌川国芳、
月岡雪斎、四条派、水野年方、伊藤晴雨、江戸川乱歩、三島由紀夫、横尾忠則等の芸術家に影響を与えました。
つきの百姿 いてしほの月 ・つきの百姿 夕顔の夕涼み ・月百姿 読書の月 子路
月百姿 ほとゝきすなをも雲ゐに上るかな 頼政とりあへす 弓張月のいるにまかせて
つき百姿 千代能かいたゝく桶の底ぬけて みつたまらねは月もやとらす
つきの百姿 法輪時の月 ・金杉橋 芝浦 ・月百姿 石山月 ・月百姿 五條橋の月
月百姿 赤壁月 ・月百姿 かしかまし野もせにすたく虫の音よ我たになかくものをこそおもへ
つき百姿 盆の月 ・月百姿 朧夜月 熊坂 ・月百姿 北山月 豊原統秋
月百姿 月明林下美人来月百姿 金時山の月 ・月百姿 忍岡月 玉淵斎
月百姿 田毎ある中にもつらき辻君の かほさらしなや運の月かけ 一とせ
つき百姿 世尊寺の月 少将義孝 ・月百姿 名月や来て見よかしのひたい際深見自休
つき百姿 宮路山の月 師長 ・月百姿 神事残月 旧山王祭 ・つきの百姿 君は今駒
月百姿 西宮夜静百花香 欲捲珠簾春恨長 斜抱雲和深見月 朧々樹色隠照陽 王昌齢
つきの百姿 しらしらとしらけたる夜の月かけに 雪かきわけて梅の花折る 公任
月百姿 玉兔 孫悟空 ・月百姿 きぬたの月 夕霧 ・百姿 卒都婆の月
月百姿 南海月 ・月百姿 から衣うつ音きけは月きよみまたねぬ人を空にしるかな 経信
月百姿 仮庵の月 ・月百姿 孤家月 ・月百姿 舵楼の月 平清経 ・相模守北条高時
主計頭加藤清正 ・相模守北条最明寺入道時頼 ・平 相 国 清 盛 ・阪田公時・源頼光
野見宿称 ・当麻蹴速 ・吉野山夜半月 伊賀局 ・嫦娥奔月 ・鶏鳴山の月 子房
(国立国会図書館より)
つきの百姿 いてしほの月 |
つきの百姿 夕顔の夕涼み |
月百姿 読書の月 子路 |
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百姿 卒都婆の月 |
月百姿 ほとゝきすなをも雲ゐに 上るかな 頼政とりあへす 弓張月のいるにまかせて |
つき百姿 千代能かいたゝく桶の底 ぬけてみつたまらねは月もやとらす |
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つきの百姿 法輪時の月 |
金杉橋 芝浦 |
月百姿 石山月 |
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月百姿 五條橋の月 |
月百姿 赤壁月 |
月百姿 かしかまし野もせにすた く虫の音よ我たになかくものをこ そおもへ |
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つき百姿 盆の月 |
月百姿 朧夜月 熊坂 |
月百姿 北山月 豊原統秋 |
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月百姿 月明林下美人来 |
月百姿 金時山の月 |
月百姿 田毎ある中にもつらき辻 君のかほさらしなや運の月かけ 一とせ |
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つき百姿 世尊寺の月 少将義孝 |
月百姿 名月や来て見よかしのひ たい際 深見自休 |
つき百姿 宮路山の月 師長 |
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月百姿 西宮夜静百花香 欲捲珠 簾春恨長斜抱雲和深見月 朧々 樹色隠照陽 王昌齢 |
月百姿 神事残月 旧山王祭 |
つきの百姿 しらしらとしらけた る夜の月かけに 雪かきわけて梅 の花折る 公任 |
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月百姿 玉兔 孫悟空 |
月百姿 きぬたの月 夕霧 |
月百姿 忍岡月 玉淵斎 |
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つきの百姿 君は今駒 |
月百姿 南海月 |
月百姿 から衣うつ音きけは月き よみまたねぬ人を空にしるかな 経信 |
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月百姿 仮庵の月 |
月百姿 孤家月 |
月百姿 舵楼の月 平清経 |
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相模守北条高時 |
主計頭加藤清正 |
相模守北条最明寺入道時頼 |
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平 相 国 清 盛 |
阪田公時・源頼光 |
野見宿称・当麻蹴速 |
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吉野山夜半月 伊賀局 |
嫦 娥 奔 月 |
鶏鳴山の月 子房 |
千時明治三十一年戌五月建立
晩年にあたる1891年(明治24年)、『新形三十六怪撰』の完成間近の頃から体が酒のために
蝕まれていき、再び神経を病んで眼も悪くし脚気も患う。また、現金を盗まれるなど不運が
続き5、6年暮らした浅草の自宅の家相がよくないと聞き、日本橋浜町に新築するため、本所
亀沢町に仮寓する。1892年(明治25年)病状が悪化し、6月9日、東京市本所区藤代町
(現・東京都墨田区両国)の仮寓の地で脳充血のために満53歳で亡くなった。 月岡芳年
没6年後1898年(明治31年)5月に、月岡芳年を顕彰するために芳年の門人や縁故者によって
向島百花園に石碑が建立された。
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