![]() 袋井 出茶屋ノ図 (1833-1834) |
![]() 東海道五十三次 丸子 名物茶屋(1833-1834) |
|
|
||
![]() 荒井 渡舟ノ図(1833-1834) |
![]() 掛川 秋葉山遠望 (1833-1834) |
|
![]() 舞坂 今切真景 (1833-1834) |
![]() 日坂 佐夜ノ中山 (1833-1834) |
|
![]() 府中 安部川 (1833-1834) |
![]() 濱松 冬枯ノ図(1833-1834) |
|
![]() 江尻 三保遠望 (1833-1834) |
![]() 嶋田 大井川駿岸(1833-1834) |
|
|
||
![]() 興津 興津川 (1833-1834) |
![]() 見附 天竜川図 (1833-1834) |
|
![]() 藤枝 人馬継立(1833-1834) |
![]() 由井 薩埵嶺 (1833-1834) |
|
![]() 岡部 宇津之山 (1833-1834) |
![]() 金谷 大井川遠岸 (1833-1834) |
|
![]() 蒲原 夜之雪 (1833-1834) |
![]() 小田原 酒匂川 (1833-1834) |
|
|
||
![]() 神奈川 台之景 (1833-1834) |
![]() 吉原 左富士 (1833-1834) |
![]() ![]() |
秋 葉 神 社 昔この地を五百崎の千代世の森と云い千代世稲荷 大明神がまつられていた。草創は正応2年(1289) と伝えられ、歌川広重の『名所江戸百景』に紅葉 の名所として描かれています。 住 所 / 向島4-9-13 電 話 / 03-3622-5502 |
![]() ![]() 秋 葉 神 社 御 由 緒 祭神 火産霊命(千栄秋葉大権現) 宇迦御魂命(千代世稲荷大明神) 昔この地を五百崎の千代世の森と云い千代世稲荷大明神がまつられていた。草創は 正応2年(1289)と伝える。江戸時代の始め善財という霊僧この森に庵を結び精修 数年の後、秋葉大神の神影を彫みこれを社殿に納めて消え去った。元禄の始め修験者 葉栄が神感を得てこの社に参り祈願の利益をうけ、当時請地村の長百姓岩田与右衛門 を通じ寺社奉行に願出で上州沼田城主本多正永の報賽にて、元禄15年(1702)秋葉 稲荷両社と称して社殿を造営し又千葉山満願寺を興して別当となった。爾来鎮火の霊験・ 産業縁結びの神徳により諸大名はじめ士庶人の信仰を受け、享保2年(1717)に神祇 管領より正一位の宗源宣旨を受けるに至った。明治元年神佛分離令の施行により、 秋葉神社と稱し別当満願寺を廃した。大正12年の震災に社殿倒壊し、昭和5年復興 したが、昭和20年戦災にかかり昭和41年氏子崇敬者の奉賛により現社殿を再建した ※ 主な行事 歳旦祭 1月1日 祈念祭 3月3日 例祭 9月中旬 鎮火大祭11月17日・11月18日 新嘗祭 11月23日 縁日 毎月3日18日 社 務 所 昭和61年10月18日立 |
![]() ![]() 〈墨田区登録文化財〉 石 燈 籠 所在 墨田区向島4丁目9番13号 秋葉神社内 本殿に向かって一番近くにある石燈籠一対は、松平甲斐守吉里の室、源頼子が 寛保元年(1741)奉納したものです。吉里は将軍綱吉の寵臣柳沢吉保の子です。この 石燈籠の右横にある一基は、前橋城主酒井雅楽頭忠拳が宝永6年(1709)奉献したもので、 その手前にある一対の 石燈籠は、関東郡代伊奈忠宥が宝暦8年(1718)奉献しました。 鳥居に近い石燈籠一対は、上州沼田城主で老中も勤めた伯耆守本田正永が宝永元年 (1704)奉献したものです。なお、この一対は〈墨田区登録文化財〉に登録されています。 当社は安藤広重の『名所江戸百景』に紅葉の名所として描かれ、『江戸名所図絵』には 「秋葉大権現社、弘福寺より三丁あまり東の方請地村にあり、遠州秋葉権現を勧請し (略)境内林泉幽邃にして四時游観の地なり」とも書かれています。一方鎮火の神として 将軍家や諸大名の崇敬があつかったといいます。 平成五年三月 墨 田 区 |
![]() 名所江戸百景 請地秋葉の境内 著者→安藤広重 |
![]() 名所江戸百景 請地秋葉の境内 著者→安藤広重 出版者→魚栄 出版年月日→安政4 |
![]() 江 戸 切 絵 図 ・隅 田 川 向 嶋 絵 図 |
![]() タイトル:絵本江戸土産 10編(請地 秋葉権現) 著者:松亭金水 解説[他] 出版者:菊屋三郎[ほか] |
![]() 江戸名所図会 第4 著者:斎藤幸雄 [等著][他] (国会図書館蔵) |
![]() 江戸の花名勝会 請地 番外 尾上栄三郎/秋葉の紅葉 /秋葉【1】 |