向 島 百 花 園 Mukoujima-HyakkaenGarden (Sumidagawa-shichifukujin) 住 所 / 東向島3-18-3 電 話 / 03-3611-8705 時間 / 9時~17時(最終入園は16時30分) 年間パスポート/一般:600円 65才以上:280円 入場料 / 一般 120円 65才以上 50円 無料公開日 / みどりの日(5月4日)、 都民の日(10月1日) |
向島百花園の四季折々の風景 春の七草・梅まつり・お月見の会・萩まつり・茶会・虫ききの会 江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が、 交游のあった江戸の文人墨客の協力を得て、花の咲く草木鑑賞を中心とした花園として開園され、 江戸庶民の行楽の場として盛況を得ていました。開設当時、太田南畝をはじめとした文人墨客が数 多く常連客として訪れ、その後も、11代将軍家斉公などの賓客、明治の時代には、ご幼少時代の 昭和天皇、伊藤博文や乃木将軍など多くの人々に愛されてきました。日本や中国の詩の古典である 「萬葉集」や「詩経」の中にある植物を集めて文学植物を全園に配し四季花たえることのない花園 として、江戸時代から明治時代まで庶民的花園として栄えていたそうです。 百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられ、開園当初は360本のウメ が主体でした。その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれてい有名な植物を集め、四季 を通じて花が咲くようになりました。唯一現代に残る江戸時代の花園です。昭和13(1938)年、 永久保存のため所有者から東京市に寄付され、翌14(1939)年に東京市が有料で制限公開を開始。 なお、昭和53(1978)年に文化財保護法により国の名勝・史跡に指定されました。 (百花園の栞より) つぶやき→程よい広さでマイガーデンとして散策を楽しむことが出来ます。 茶亭の椅子に座り、夏は木の緑に囲まれ、木の葉の間から射してくるまばゆい日の光を感じ ながらの氷の味は格別です!秩父や日光の天然氷を食べにいきたいと思っていましたが忘れ させてくれました。 向島の書家の方がボランティアで毛筆で木札を書いて下さっています。優しくてまろやかな 字の木札には癒されます。 素敵な庭を造って下さり、有難うございます。これからも宜しくお願いします。 追記:入場券が一般とスペッシャル(例えば萩の花入場券)と1種類以上あるといいかもと思いました。 散策していると百花園が大好きな方に時折出会いとても嬉しい一時がいただけ、これから先も ズーット癒しの向島百花園として存続することを百花園を愛する方々が願っていると思います。。 |
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絵本江戸土産 10編(1) 花屋敷 秋の花園 著者:松亭金水 解説[他] 出版者:菊屋三郎[ほか] |
タイトル:向しま花屋敷七草 著者:広重 出版者:相ト 収載資料名:東都三十六景 |
百花園江戸百景集 江戸自慢三十六興 |
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寺島村百花園 秋の七? タイトル:江戸歳事記 4巻 付録1巻. [2] 著者:齋藤月岑幸成 編[他] 出版者:須原屋佐助 [ほか12名] |
榎本武揚から贈られた鶴がいた小屋 綾瀬川に丹鳥の池がありました。 (丹頂とは鶴の一種を指します。 墨田区に鶴がいたなんて嬉しいですね) |
桑 の 茶 屋 跡 (The remain of Kuwa-no-Chaya) ここには、明治時代に上野の博覧会で使用した二階建ての建物があり、桑の木で作られていた ことから「桑の茶屋」と呼ばれていました。しかしながら、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲 で百花園が壊滅的な打撃をうけた時に、桑の茶屋は取り壊されました。唯一建物に使用されていた 欄干が御成座敷に残っています。現在は、建物があった当初の面影は縁石に残っているのみとなり ますが、園内における一番高い地形から眺める水辺の景色が当時を偲ばせます。 参考:江戸の花屋敷 There was a building called “Kuwa-no- Chaya” used for the National industrial exhibition held by Meiji era in Ueno. However, Mukojima-Hyakkaen Gardens received the destructive blowby the Great Tokyo Air Raid in 1945, and the Kuwa-no-Chaya was pulled dewn |
隅 田 川 七 福 神 文化元年(1804)向島百花園が開園してからここに集まる文人墨客たちが、園主佐原鞠塢が福禄寿を 祭っているのを知り、この隅田川の東岸にも七福神をそろわないものかと考え、七福神それぞれ縁故 をもつ神社仏閣を探し出した。そして、初春七草の間に寿福を祝い、家門繁栄、家業隆盛を願う初参 りの行事を創始したのが、隅田川七福神のはじまりである七福神の「七」という数は陽を表わす奇数 であって、古くから、めでたい数字とされている。七難即滅、七福即生、万姓安楽という語句は七福 神の語源ともいわれ、寿命、有福、清廉、愛敬、威光、大量の七つの神々を象徴するもので、心新た な年頭にあたって参拝し、その年の至福を祈念するならわしが七福神初詣のいわれである。 昭和45年11月3日 建 立 墨 田 区 |
ジャンボ七草籠 (茶亭さはら前四阿) |
地植えの春の七草(春の七草コーナー) |
【献上七草籠】宮中と百花園の関係 七草籠は、開園当初(文化4年)より園主が年末に籠に備えた春の七草 (種)をお得意様のお歳暮としてお届けしていました。明治期には正岡子規、 乃木希典、東郷平八郎、高橋是清などの著名人も来園していて、その中 に九条家(のちに大正皇后となられる方のご生家)がありました。皇太子妃 になられた後も宮中にお届けしていました。これを契機に百花園は宮中へと 七草籠をお届けするのが習わしとなっています。 |
正岡子規ゆかりの七草籠 こちらの七草籠は正岡子規著の「墨汁一滴」に書かれた、 伊藤左千夫が正岡子規に届けた七草籠を基に作成したもの です。病床の子規のために、「ほとけのざ」の名前は縁起 が悪いため「かめのざ」に変えた木札を立て、赤いカブを 仕立てた七草籠を贈りました。 あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため 子規著 「墨汁一滴」より |
秋 の 楽 焼 体 験 令和元年11月2日(土)~3日(日) 9時~15時(焼成時間は30分~1時間程度) 荒天中止 素焼きした陶器(湯呑茶碗等)への絵付け を愉しみます。素焼きとは低い温度(約800度)で焼いた陶器。百花園には江戸時代から窯があり、お土産 として当時においては珍しい陶芸体験を提供していました。榎本武揚や永井荷風なども楽焼の一種である 「隅田川焼き」を楽しんだといわれています。 講 師:長谷川剛氏 (陶芸家) 費 用:1作品800円 (材料代) ※ 入園料別途 定 員 :各日60名 (当日先着順 |
お月見と言問い団子 言 問 団 子 03-3622-0081 |
向島百花園のハギはミヤギノハギとシラハギで、 赤紫色と白色の蝶のような形をした花が咲きます。 |
変化朝顔の展示 (令和4年8月8日~9月中) |
虫 き き の 会 (令和4年8月25日~8月28日) |
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竹の札にばばごろし! |
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コロナの説明書き案内板 |
緑色の花梨の実がみえます。 |
日 時 | 平成30年7月22日(日)13時~15時 ※荒天中止 | |
場 所 | 向島百花園内 御成座敷 | |
内 容 | 工房で作られたガラスに、内側から絵付けをする体験です。 初心者の方にも講師が丁寧にお教えします。制作した江戸風鈴は、当日お持ち帰りいただけます。 ※道具等は貸し出しします。 | |
講 師 | 篠原 孝通 氏(江戸風鈴職人) | |
参加費 | 2,000円 ※材料費含む。(入園料別途) ※参加費は、事前の振込制となります。振込手数料は、お客様のご負担となります。 |
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定 員 | 25名(事前申込制) ※応募者多数の場合は抽選となります。 | |
申込方法 | 往復はがき(1枚につき3名様まで)に、1~3の必要事項を記入し、下記までお申し込みください。 1・代表者の住所・氏名(ふりがな)・年齢・電話番号 2・参加者全員の氏名(ふりがな)・年齢 3・返信欄に返信先の住所・氏名 【宛 先】〒131-0032 東京都墨田区東向島3-18-3 向島百花園サービスセンター「江戸風鈴絵付け教室」係 【締切日】平成30年7月2日(月)消印有効 ※応募者多数の場合は抽選となります。抽選の結果は応募者全員に通知します。その際に、当選の方には参加費のお支払い方法と持ち物についてご案内します。 |
大木の枝切り作業・植木屋さんの半纏と足が見えます。 1本の高い木に4人も上っていました。 |
百花園は公園の隣です。 |
突き当たりが百花園です!歩いてみたくなる道です1 |
か ん つ ば き(寒椿) |
■ 千寿庵益賀の句碑 Monument of Verse by Senjuan Ekiga 「鳥の名の 都となりぬ 梅やしき」 百花園に関わる文人墨客の中でも鞠塢と特に親交が深い酒井抱一 の書によるものです。句を詠んだ益賀のことは、多くはわかりません が、抱一の俳句の師の孫弟子であり、同じ江戸座の俳句仲間でした。 抱一は、百花園のことを風雅な愛称で「都鳥庵*」と呼んでいたことか ら、そのイメージの句を詠んだ益賀の句を書いたとのことです。 *都鳥・・・伊勢物語の東下りの中で出てくる。ユリカモメのこと。 百花園においては、隅田川焼きのモチーフで多く使われている。 その他、文化11年には、金令舎道彦の書の芭蕉の句碑 「こにやくの さしみもすこし うめの花」も建立されています。 |
■ 墨沱(すみだ)梅荘(ばいそう)記(き)碑(ひ) “Sumida Baiso-Ki” (Record of the japanese Apricot Garden in Sumida) 江戸の有数の儒学者であり、詩人また書家として名 高い亀(かめ)田(だ)鵬(ほう)斎(さい)斎の撰文ならびに書によります。漢文で書 かれており、この記によって百花園の創設の時代を知 ることができます。この石碑の姿は、「江戸名所花暦」の 挿絵にも見ることができます。 墨沱(すみだ)・・・墨田川(隅田川)のこと、梅(ばい)荘(そう)・・・梅屋敷のこと 【内 容(要点)】 『隅田川のほとりに新しい庭園・百花園が開かれ、百株の梅が植えられたこと、毎春咲く梅は 大変美しいこと。10年が経ち風雅を愛でる人、花を好む人が遊びに来る場所となり、鵬斎自身 もあらゆる時に来ては楽しんだこと。ある月夜に百花園で見た夢のこと (天女がやってきて、 梅を愛でる鵬斎を「梅花顛(ばいかてん)」と呼び、清らかな心を褒め、勧められた盃を受け飲んだ)、眼 が醒めた後、「梅花顛(ばいかてん)」とは鞠塢こそ相応しいと告げ、その言を記したのが文化11年2月15日で あったこと。』等が記載されている。 |
■ 詩仏画竹碑 “Shibutsu Gachiku-hi” (Monument of Bamboo Painting by Shibutsu) 園内で最も有名な石碑。 幕末の大詩人で、梅と竹を描くことを得意としていた 大窪(おおくぼ)詩仏(しぶつ)の画竹に、詩人として名高い佐羽(さわ)淡斎(たんさい)が賛※を 加えました。碑の裏面には江戸の有名な儒学者である 朝川(あさかわ)善(ぜん)庵(あん)の撰文、書家として著名な巻(まき)菱(りょう)湖(こ)が書いた「詩仏 老人碑竹記」があります。さらに、石(いし)彫(ぼり)の名人鏑(かぶら)木(ぎ)雲(うん)譚(たん) が刀刻しており、まさに名人ぞろいの碑といえます。 ※・・・・・作品に書き加えられ、書作品の一部とみなされる鑑賞文、賛辞。 【内 容(要点)】 『詩仏は、梅を描いていたが、自分に合わないと竹を描くようになったこと。竹を描けば詩を題 し自書すること。その強く健やかな書、気高くあっさりとした詩、すぐれた画に併せて、竹の ような人となりを知るべきで、これこそ詩仏の面目であると。淡斎の詩にもあるように、詩仏は精 神を書画の中においていること。詩仏が竹を描くことは詩仏の肖像であり、これを伝えることが建 碑の目的であること。』等が記載されている。日付は竹酔碑(旧暦の5月13日)。 |
梅 い ろ い ろ ウメは植物学的にはバラ科アンズ属又はサクラ属に分類される
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白 加 賀 (しらかが) (実ウメ) 古くから知られる実梅の 品種です。花は一種白色 大輪。果実は大きく、粒 もよく揃うのが特徴で、 梅干しなど、さまざま な用途に用いられます。 |
冬至梅(とうじばい) (野梅性) 別名 『本冬至』。 早咲きの品種で、 花は一重で白色です。 盆栽にも向く品種です。 |
思いのまま (野梅性) 「輪違い」とも呼ばれ、 八重咲きでその名の通り 白色~淡紅色~紅色の花 を咲き分けます。 |
紅冬至(こうとうじ (野梅性) 淡紅色の一重咲き品種で す。早咲きが特徴で、正 月の飾りなどにも用いら れます。また、強健で小 枝もよく出るので、盆栽 にも向きます |
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見驚(けんきょう) (野梅性) 八重咲き大輪の花を咲か せます。色は蕾のころ淡 紅色で、開花すると白色 に移ります。性質も強健 で、庭木としても人気が あります |
八重寒紅(やえかんこう) (野梅性) 紅色の八重咲き品種。新 芽の色も赤いのが特徴 です。早咲きの品種で 12月ごろに開花するこ ともあります |
初雁 (はつかり) (野梅性) 花は一重の白色で、極小 輪、極めて早咲きの品種 で、秋になって雁が渡っ てくるころに咲くことが 名前の由来になってい ます。 |
藤牡丹(ふじぼたん) しだれ (豊後性) 淡紅色で大輪八重咲の花 を咲かせる、しだれの品 種です。蕾は紫色です。 |
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豊 後(ぶんご) (実ウメ) 花は一重で淡紅色、3月中 旬に開花します。果実が 特に大きいのが特徴で、 梅漬けに向きます。 |
紅千鳥(べにちどり) (紅梅性) おしべに小さな旗弁 (おしべの先が花弁化 したもの)が出ること があります。花は一重 咲きの明るい紅色で よく目立ちます。 |
唐梅 (とうばい) (唐梅性) 一重と八重があり、一般 的には八重咲きのものを 指します。花首が長く、 下向きに花をつけます。 花が咲きすすむと花弁が 白味を帯びます。 |
鴛鴦 (えんおう) (紅梅性) 初代・佐原鞠塢の残した 『梅屋花品』に「籰梅」 として紹介されている1 輪の花に2個の実がなる 品種です。八重咲で紅 色の花弁には赤い筋が入 ります。 |
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花香実 (はなかみ) (実ウメ) 「照水梅」の別名で 『梅屋花品』に記された 品種とされます。花の美し さと実の収穫をともに楽 しめる品種です。後水尾 天皇の命名とも言われ ます。 |
八つ房梅(やつふさうめ) (実ウメ) 『梅屋花品』に、1輪の花 に8つの実を結ぶと書か れている品種です。親鸞が 越後の梅護寺に植えたとさ れる樹が知られ、越後七 不思議の一つとされます。 |
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向島百花園 ル ー ト 【墨田区内循環バス・すみだ百景 すみまる君 すみりんちゃん】 〇・曳舟駅南下車(押上駅より2つ目の停留所)→30秒程押上方面に戻り、永柳コルク工業のビルを右折 →前進5分水戸街道に出ます。信号の向こう側に鳩の街通り入口のアーチがみえます。(途中進行方向 4本目の通りを右折すると江戸木箸 大黒屋さんがあります)→信号を渡り鳩の街通りを前進(途中右側 に吉川英治旧居跡の案内板があります)→突き当たりを右折前進5~6分(途中左側に幸田露伴児童公園が あります)→地蔵坂通りに出ます→交差点を渡り2本目の道を左折すると突き当りが百花園です。 つぶやき→中秋の名月・お月見の会の時に商店街に提灯が下がったら素敵ですね! 〇・鳩の街通り商店街入口下車(12番目の停留所)→2~3分戻り右折、真ん中の坂道を下りそのまま前進 5~6分(途中左側に幸田露伴児童公園があります)→地蔵坂通りに出ます→交差点を渡り2本目の道を 左折すると突き当りが百花園です。 〇・向島百花園への最短距離です(上記写真のバス停です)。地蔵坂下車、(11番目の停留所) 前方に1分ほど進み左折→信号を渡り真ん中の坂道を行きます→徒歩3~4分の左側にあります 〇・曳舟文化センター下車→30秒程戻り右折→直進すること5分程で水戸街道にでます、向こう側に 地蔵坂通りの、アーチが見えます→直進すること2~3分、右側にガソリンスタンドがあり右折します →みづきの先の道(2本目)を左折すると突き当たりが百花園です。 |